平成31年3月30日
 海上自衛隊舞鶴地方総監主催の観桜会レセプション(海上自衛隊と市民の集い)

 

         
賛助会参加者; 
        足穂 豊、阿部政美、渡邊礼子
     
(海軍クラブ美保錨会 菊地英夫会長の同伴として)


  

                五老ヶ岳からの展望

 舞鶴のほぼ中央に位置する五老ヶ岳。その山頂にある五老ヶ岳公園は、眺望の美しいことで知られています。若狭湾国定公園の一部をなす舞鶴湾の複雑に入り組んだ海岸線や、紺碧の海に浮かぶ緑の島々・・・変化に富んだ景観は、「近畿百景」の第一位に選ばれている。

 
   舞鶴音楽隊の演奏下に行われるレセプション・パーティ

    
  舞鶴地方総監  中尾剛久 海将 挨拶

  

   総監、中尾剛久海将を中心に記念撮影

 
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二次会
     

     菊地会長なじみの割烹での懇親会

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初めての参加所感

「海上自衛隊舞鶴地方総監主催の「市民と海上自衛隊との夕べ」に参加して      

 「世の中は桜が咲いて笑い声」(正岡子規)。 満を持して咲く桜は、春の喜びの象徴でもあります。お台場公園の「葦」、「蕨」の美保関沖事件での殉職者の慰霊塔前に咲く薄紅色の花にも人々はそれぞれの思いを託し人生を積み重ねていくのでしょう。

 慰霊祭音楽隊(さかいみなとウインドアンサンブル楽団)として十年程になるのでしょうか。不思議な御縁でこの度、歴史深き舞鶴の地へ足を延ばすことになりました。悠久の太古から今日までその時々の日本史を飾るさまざまな一面を持ち合わす舞鶴は、個性ある地域文化を運んできた貴重な町でもあります。かっては半農半漁の舞鶴がなぜ軍港として栄え、現在では国防の重要拠点となっているのかをさまざまに思いをめぐらせてみました。戦いの防御施策として蒔かれた一つの種がこの地に根を下ろし、それはやがて芽を吹き育ち、枝葉を増しつつ、その幹は大きく育ち、現在では大きな樹木と化し、みずみずしい果実を結んでおります。

 果実を実らせるために必要な日光や雨、気温などは必要不可欠であり、それは地域住民の支えに例えられるかもしれません。それらをお教えお導きされたのはこのたび先導下さった海軍クラブ美保錨会会長の菊地英夫様であるのかもしれません。誰に対しても心遣い、ご配慮の行き届いた対応は、周りのすべての人を包み込み。温かい気持ちにさせて下さいます。その天性の御性格をもって皆の先頭に立ち、職務に心からお力を注がれたお姿が思い起こされるようでした。

 私たち音楽隊は戦禍に遭った人々が残した歴史を風化してしまわぬように、八月の慰霊祭では枯れることのない水として潤いのある演奏をしてまいりたいと思います。

                

                    慰霊塔顕彰護持賛助会音楽担当理事 渡邊礼子 (境港市社会福祉協議会、境港市ことぶきクラブ連合会、境港市精神障害者家族会、境港市身体障害者福祉協議会の各事務職、境港市障がい児者育成会団体事務局長、境港市消防団員、さかいみなとウインドアンサンブル楽団員、

             

 

330日に舞鶴にて開催されました「海上自衛隊と市民の集い」へ参加させて頂きました。

 まずこの集いにお招き頂いた上、往きも帰りも自家用車でお連れ下さいました海軍クラブ美保錨会 会長 菊池 英雄 様に感謝申し上げます。今回私を招待下さったのは、父が海軍クラブ美保錨会の初代会長を務めさせて頂いたのがご縁で、慰霊塔顕彰護持賛助会に名を連ねて下さっているからではと思います。5年前に父が亡くなった折、菊池会長が即座に枕元へ歴史ある海軍旗をお供え下さり、葬儀においてはご丁寧な弔辞まで賜りました。この文書を借りまして重ねて御礼申し上げます。

 当日は良い天気とは言えませんでしたが境港からの道中、窓から見える開きかけの桜やこぶしの花の美しかった事。また丁寧な運転で快適なドライブでした。レセプション会場に入りますとまず最高官と思われる方がご夫婦でお出迎えです。後で伺うと総監中尾海将との事。この儀礼には感動しました。

 会場には沢山の方達、伺うと800人程おられたそうです。皆様はほとんど海上自衛隊の関係者と思われますが、このような方達が日本の海を守ってくださっているのかと、ふと思いました。ただ懐かしそうに歓談しておられる雰囲気は戦う兵士ではなく紳士の集まりを感じ、やはり海軍の伝統なのでしょう。
 振舞われる料理はホテルのバイキングの様に手の込んだもので、どこかの料理屋さんに発注したものかと思っていましたら、すべて隊員の手で作られたものとか。海外で寄港した時には艦内でお客様を接待することもあるのでしょう。これも必須の技能かもしれません。名物の海軍カレーのコーナーには列ができており私も頂きましたが、その他の料理も素晴らしかったです。私は舞鶴の地元でとれると伺った巻貝のチーズ焼き?が美味しくて何個も頂いてしまいました。

 今回のご招待では体育館にお招き頂いたパーティーでしたが、もし可能であれば艦内では不可能としても、船が感じられる場所での開宴も海軍らしくて良いのではないでしょうか。

 翌日は少し天候が持ち直し、五老ヶ岳山頂へご案内を頂きました。3kmの登山道で上り始めは小雨交じりでしたが、なんと山頂に着くと嘘のような晴天。眼下に広がる舞鶴に思わず息をのみました。はるかに望むと海軍基地はそこ。町の中心はあそこ。岸壁の母が待ち続けた所はこちら。複雑に入り組んだ舞鶴湾を見るにつけ、まさにこの地は日本海に向けて選ばれ建設された海軍基地なのだと感じ入りました。

                 慰霊塔顕彰護持賛助会 地方自治担当理事 足穂 豊
                        御父君は海兵70期、伊四百型潜水艦(4.000頓 別名「潜特型」)乗員)





 舞鶴は近代国家日本の誕生とともに、軍事的要地として鎮守府が置かれ、軍港として発展してきた街です。東舞鶴と西舞鶴の間の五老岳から見る若狭湾は、多くの島影の間を白い航跡を残して船の行き交うのが展望できますが、花冷えの8日も青い海と緑の島々が輝いていました。
 旧軍の倉庫群、いまの赤レンガパークは舞鶴のランドマークで、小樽や江田島に劣らぬノスタルジックな景観で、ぼくの大好きなスポットです。

 恒例となった海上自衛隊舞鶴地方総監部主宰の”市民と海上自衛隊の集い”は4月7日に総監部体育館で催されましたが、入りきれない盛況で、自衛官の方々の心ずかいと、もてなしに、談笑の輪が絶えませんでした。
 各地から集まった市民との友情と信頼が築かれたことは間違いありません。日本の海の防衛に対する安心感を私どもにあたえたことは間違いありません。 舞鶴地方総監部は秋田から島根までの我が領海の警備と安全の護りを任務としていますが、会場での自衛官のあのきびきびした行動、真摯な態度を見て、より一層の信頼感をもちました。

 赤レンガ群は今カフェーとして、アート展示スペースとして、また博物館として市民に提供され、貴重な文化財として維持、監理されていますが、舞鶴市当局、防衛省の文化財に対する見識の高さに敬意を払いつつ、舞鶴をあとにしました。

          
               慰霊塔顕彰護持賛助会芸術担当理事、
境港市文化協会副会長、境港写真クラブ会長、
               日本会議、阿部政美


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思いでのスナップ
 (初めて部外協力者の参加)  
  鳥取県西部海友会時代


平成17年4月2日 観桜会(海上自衛隊と市民の夕べ)


     
千代結び酒造 岡空昇社長夫妻 旭鉄工 川端広海社長 参加


   

  

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平成20年11月1日(自衛隊記念日)

  
             
              幕僚長 渕田海将補 (東大出身、後の自衛艦隊司令官)
                   幕僚長は第80回慰霊祭に総監名代でご臨席されました


   
         舞鶴教育隊司令 1等海佐                 幕僚 2等海佐

    

                                各種模擬店
 


  

                          完