美保関沖事件殉職者顕彰護持会のホームページ

       アーカイブ (保存記録) 

美保関沖事件特集

6
2324の両日、境港市「鬼太郎ロード」に続く「お魚ロード」朝市会場屋内で、美保湾に集結した連合艦隊63隻を当時の姿で再現したプラモデルのジオラマ展示を行いました。同時に各種の資料、記録写真など一切の関係文献を公開しました。

先着50名には協賛の産経新聞社鳥取支局複製の「事件を報道する新聞」の原寸大のコピイが配布されました。(3月は日米戦艦、4月は日米空母、5月は巡洋艦の展示を行いました。728,29日には海軍のすべて展「航空機の部」の展示を行います。  
(海軍クラブ美保錨会協賛))
  
美保湾に集結した連合艦隊63隻の艦艇(演習前1900時頃の状況)
 手前の艦は重巡洋艦「加古」、「古鷹」および軽巡洋艦「神通」、「那珂」)

    
           産経新聞社鳥取支局谷下秀洋記者撮影  舞台装置の背景画は遠藤恵裕画伯作 

   この写真および展示資料の一部を「喫茶クロ」(境港市中町)に展示中
   (824日に台場公園慰霊塔前で行われる殉職者追悼、参拝式まで)
                                            

  編成区分
  甲軍(防御側) 14隻(戦艦6隻を含む)
     
     
        
戦艦「陸奥」「長門(旗艦)」「伊勢」「日向」 巡洋戦艦「金剛」「比叡」
            軽巡「鬼怒」「阿武隈」「竜田」「由良」
 24駆逐隊(駆逐艦4隻))

 乙軍(攻撃側) 26(駆逐艦20隻を含む)

    
    軽巡「神通」、「那珂」 二等駆逐艦「葦」、「蕨」

   https://archive.is/xutP0/d6fde2462ed6551cc50778fd4365f7bf63ef3b96.jpg
    軽巡「夕張(最新鋭試験艦)

https://archive.is/xutP0/d6fde2462ed6551cc50778fd4365f7bf63ef3b96.jpg https://archive.is/xutP0/d6fde2462ed6551cc50778fd4365f7bf63ef3b96.jpg 
        」重巡「加古」、「古鷹」         

      
 
22駆逐隊 第29駆逐隊、第30駆逐隊、 水上機母艦「能登呂
             
 
 
26駆逐隊 2等駆逐艦(栗、楡、栂、柿)   第27駆逐隊 2等駆逐艦(菱、蕨、葦、菫)
     


その他の艦艇(夜間演習に参加せず) 23

      
       
 空母「鵬翔」(世界初本格設計の空母) 幅の狭い飛行甲板上に艦橋構造があり、着艦動作が困難、艦橋構造は後に撤去された

空母「赤城」 昭和22月に就役,慣熟訓練中、「鵬翔」における離着艦飛行訓練支援のため随伴、三層甲板は後に全通式の甲板に改修された。 
    https://archive.is/xutP0/67e669e3549a42b0a9cee68c408ea35408d39176.jpg
潜水艦母艦「迅鯨」、伊号潜水艦4隻、対潜用3等駆逐艦4隻、機雷敷設艦「常盤」「厳島」
掃海用3等駆逐艦4隻 給炭艦1隻、給油艦4隻 工作艦「朝日」
                                


当日の気象、天候状態
本州南方洋上に台風が北上中、空には鉛色の雲が足を早めて飛び去っていた。海上は東寄りの風が5メートル、時には7から8メートル程にもなり、海面は白波が立ち、東からのうねりもはっきり認められた。視界は約6キロ、気温は27℃、気圧は764ミリバール、月齢は26.9と記録された。

演習の内容
悪天候下、暗夜、無灯火、高速接近(4戦速、29ノット)、)魚雷攻撃、急速離脱退避を行う極めて危険な演習であった。甲軍は1930に美保湾を抜錨、出港、乙軍は:2200に演習海域に向けて発進した。

https://archive.is/xutP0/4d01f0aed7c1c2750b435aa37ef0336d56887044.jpg            
 

 

平成23年度 美保関沖事件殉職者追悼・参拝式 実施


  主催 美保関沖事件殉職者慰霊塔顕彰・護持会      (会長 川端広海))
  協賛 海軍クラブ美保錨会                          (会長 菊地英夫)



   期日:平成23821(日曜日)午前10時半から1時間    
   場所:境港市台場公園 慰霊塔前
 (雨天(のため、会場を「海とくらしの資料館に変更)
    
服装:軽装または略装     昼食会は1145、「峰」にて」


 今回は、昭和12年に行われた10周忌の慰霊祭に、台場公園を埋め尽くした米子中学、米子高女、米子工業、米子商芸の生徒および境尋常高等小学校の高学年の児童により歌われた幻しの鎮魂歌「蕨と葦の殉難の歌」の追悼演奏を市民バンド、「さかいみなとウインド・アンサンブル」(団長松本幸永)により約70年ぶりに行い(戦後66年振り)、参列者に大きいな感動を与えた。


 
再現されるまぼろしの鎮魂歌「蕨と葦の殉難の歌」追悼演奏について

 台場公園に聳える白亜の塔、あれは一体何なのかと思われる方が少なくありません。それは、昭和2824日の深夜に起こった連合艦隊の夜間、無灯火、特別戦技(近接雷撃)演習間に発生した艦艇の二重衝突事故(美保関沖事件)の殉職者119名の霊を追悼、顕彰する慰霊塔なのです。事故の翌年、1216日に美保関町および境の花町の住民が全国に浄財を求めて建立されました。

 昭和128月、海軍在郷軍人会(境海友会)主催による10周忌の慰霊祭で、公園を埋め尽くした米中、米女、米子工業、米子商業の生徒および境尋常高等小学校の高学年の児童の合唱で歌われたのが鎮魂歌「蕨と葦の殉難の歌」です。この歌は昭和15年と17年に行われた慰霊祭でも歌唱された記録が境港市市史編纂室に残されています。

 ことの起こりは、長らく探し求めていましたその歌の歌詞が平成
208月、境港市主催の80周忌慰霊祭の追悼展示会をご覧になった東本町の三島寿雄氏(「大山の蝶」の著者)から歌詞の提供を受けたことです。同氏については、「鎌倉蝶」今井彰著の「芥川龍之介と蝶と軍艦」の節に、美保関沖事件に言及し、三島寿雄氏が十周年の慰霊祭に12歳で参加されたことが記されています。

 蝶といへば、殉職された駆逐艦「蕨」の艦長、五十嵐中佐のご子息、理学博士、五十嵐邁氏は蝶の研究で著名で、日本蝶類学界の会長も務められ、なにかの因縁を感じます。 また平成
21年の追悼・参拝式で境1中の女子生徒三名による初めて歌詞朗読の際に、一羽の黒アゲハ蝶が慰霊塔の周りを何度も何度も飛び回っていた姿を写真家住田恒夫氏が撮影され、これまた深い絆を感じます。 

 次に、楽譜の発見については、境港市市史編纂室長の小灘浩氏のご熱意で、昨年9月に「西小路界隈」矢倉節子著の中で発見されました。早速、境港教育委員会の遠藤恵裕委員長のご紹介で、同委員会の音楽専攻の松本幸永先生に発見された簡単な楽譜から吹奏楽器による演奏をお願いし、本年
7月に同先生を団長とする市民バンド、さかいみなとウインド・アンサンブル12名のメンバーによる練習演奏を聞かせて頂きました。昭和15年と17年の慰霊祭に学童として参加し、今でも歌詞と調べを記憶されている花町の面谷規夫氏からうかがっていた通りの哀調のこもった荘重な調べで,心から感動しました。

 821日の本番には同楽団の多数のメンバーによる追悼演奏が行なわれますので、その臨場感は素晴らしいものになろうと期待します。酷暑炎天下ですので、慰霊塔前の樹間の木陰で式および演奏を行います。是非共、多くの市民の方々に聞いて頂きたいと思います。歌詞をお配りしますので、口ずさんでいただければと幸甚の至りです。軽装、略装で気かるにご参加ください。殉職者の霊に対して大きな供養になろうかと存じます。   

補足:
1. 毎年行われる追悼・参拝式に連合艦隊司令長官高橋三古海軍大将の署名を縫い込んだ古い軍艦旗が捧持されます。 その理由は、この事故当時、同大将は連合艦隊参謀長(少将)として旗艦「長門」に座乗し、深夜の事故に直面し、翌朝まで美保湾に留まって救難活動を見守っていた事実から、この軍艦旗を掲げることは殉職者に対する大きな供養になろうかとの想いであります。この軍艦旗は、昭和11年に発足した海軍在郷軍人会「境海友会」に対して佐世保海軍軍需部から交付されたものです。「境海友会」から、「鳥取県西部海友会」を経て、平成201115日に結成された「美保関沖事件殉職者慰霊塔顕彰護持会」に伝承されました。

2. 慰霊塔内部に一本の筒状のものが奉納安置されています。それは大正時代初期の駆逐艦の備砲、40口径8cm)単装砲の砲身です。大正初期の駆逐艦の備砲の砲身が当時のままの姿で保存されているのは稀有のことで、歴史的遺物と言へます。またその背後には触芯を除いた同時代の係留流機雷も据付けられています。これもまた貴重な歴史的遺物です。参拝の際にはこのような事も念頭に置かれて見学して頂きたいと思います。 この慰霊塔は殉職者の霊を追悼、顕彰するための墓標であると共に、重要な史跡でありなす。

3. この慰霊塔は終戦までは「忠魂碑」の文字が掲げられていました。戦後、日本占領の連合軍最高司令官ダグラス・マッカーサ元帥の指令で剥ぎ取られ、無残な姿で放置されていましたが、昭和25年に発足した警察予備隊本部総監 林敬三氏(元鳥取県知事)の揮毫による「慰霊塔」の文字が掲げられました。 また慰霊塔基部の南壁に埋込まれていた事故を報じる大阪朝日新聞の記事を食刻した銅製の碑板も終戦後の混乱期に何者かに剥奪されました。 今回、美保神社に保管されているこの碑板と同形のものを一時借用して展示されることになりました。

4.
 慰霊塔頂部に八角形のカプセル状の構造体があります、 昭和2824日深夜に発生した衝突事故後、演習を中止して救難捜索活動が行われましたが遺体が発見できず、月末にやっと一体の遺体を収容し、92日に舞鶴鎮守府で行われる海軍合同蔡に間に合うよう駆逐艦で移送されました。 9月になって数体の遺体があがり、上道の火葬場で荼毘に付され、その遺骨の一部を紅玉、水晶、真珠、瑪瑙などの宝石と共に浄砂に混ぜてそのカプセル状の構造体の中に納められたと言われています。    
                                                                                        実行委員長 松下 薫



8
12日、午後615分からのBSSテレビ、 テレポート山陰の中で放映、 「戦後66年・・・蘇る忠魂歌」。

 日本海新聞、山陰中央新報および読売新聞でも大きく報道され、またNHKテレビのニュース番組で繰り返し放送されました。


式典で、 まぼろしの鎮魂歌が追悼演奏され、美保神社の奉納品「大阪朝日新聞の事故の速報記事を銅板に食刻印刷した銅製碑板が公開された。


追悼参拝式

式次第   国旗掲揚 (国家演奏 さかいみなとウインド・アンサンブル

          https://archive.is/xutP0/069f1f080cd40a477f62b65495f89458d3196221.jpg 
                                 

     

                雨中、半旗の掲揚

  
開式前の寸描
     https://archive.is/xutP0/d586056701e51dc642a25915e11e6ba37c18b74c.jpg 

 
  式次第 司会進行、青年部長 邨田拓斗(島根大学法文学部2回生)

   ・慰霊塔顕彰護持会会長 川端広海 挨拶、追悼の言葉
   ・来賓紹介(岡空副会長)
   ・鎮魂歌「蕨と葦の殉難の歌」追悼演奏、 さかいみなとウインド・アンサンブル    (松本幸永団長指揮)
   ・来賓追悼のお言葉          
     中村勝冶境港市長、 住谷正仁自衛隊鳥取地方協力本部長 赤沢亮正衆議院議員


   
        
https://archive.is/xutP0/29ac12ef225bedabdad9a697b3cc5cbf4c958bcd.jpg

      https://archive.is/xutP0/925f26a87611cc437385271008fab2f8a1d3c939.jpg   
 



 
・海軍クラブ美保錨会 福本事務局長による追悼電報(海上自衛隊舞鶴地方総監  佐々木邦弘海将)の披露
 ・大阪朝日新聞の事故速報記事を食刻印刷した銅製碑板(美保神社奉納品))を説明する横山禰宜

    ・献花、参拝
   


      https://archive.is/xutP0/ea6f2058023d2e82a182797e77c5b1dfe1e504ca.jpg

   献花・参拝 (ベートーベン交響曲第7番 演奏)

     ・国旗降下(国家演奏)
     ・閉式

            動画(式次第)    株式会社 ネットマ-ケティングジャパン 製作

松下薫事務局長 あいさつ

慰霊塔顕彰護持会会長 川端広海 挨拶、追悼の言葉

Adobe Flash Player or an HTML5 supported browser is required for video playback.
Get the latest Flash Player
Learn more about upgrading to an HTML5 browser

Adobe Flash Player or an HTML5 supported browser is required for video playback.
Get the latest Flash Player
Learn more about upgrading to an HTML5 browser

鎮魂歌「蕨と葦の殉難の歌」追悼演奏、 さかいみなとウインド・アンサンブル(松本幸永団長指揮)

      中村勝冶境港市長

Adobe Flash Player or an HTML5 supported browser is required for video playback.
Get the latest Flash Player
Learn more about upgrading to an HTML5 browser

Adobe Flash Player or an HTML5 supported browser is required for video playback.
Get the latest Flash Player
Learn more about upgrading to an HTML5 browser

住谷正仁自衛隊鳥取地方協力本部長

   赤沢亮正衆議院議員

Adobe Flash Player or an HTML5 supported browser is required for video playback.
Get the latest Flash Player
Learn more about upgrading to an HTML5 browser

Adobe Flash Player or an HTML5 supported browser is required for video playback.
Get the latest Flash Player
Learn more about upgrading to an HTML5 browser

大阪朝日新聞の事故速報記事を食刻印刷した銅製碑板(美保神社奉納品)を説明する横山禰宜

海軍クラブ美保錨会 福本事務局長による追悼電報(海上自衛隊舞鶴地方総監 佐々木邦弘海将)

Adobe Flash Player or an HTML5 supported browser is required for video playback.
Get the latest Flash Player
Learn more about upgrading to an HTML5 browser

Adobe Flash Player or an HTML5 supported browser is required for video playback.
Get the latest Flash Player
Learn more about upgrading to an HTML5 browser

                                              終

 
  

美保関沖事件

 海軍最大の演習事故、艦艇二重衝突事件「美保関沖事件」、(昭和2824日、深夜)
                     島根半島東端の地蔵崎の東北3040km の海域(鳥取県山陰沖合い)

              
https://archive.is/xutP0/bb25ffd5f5bc3aae5e6231a48b40b7a17f9bb53d.jpg 
             境港市台場公園 美保関沖事件殉職者慰霊塔 2011410日撮影)

 二等駆逐艦「蕨」軽巡洋艦「神通」に激突され、船体をまつ二つにされ、同時に罐室の爆発であっという間に(26)に沈没した。生存者は甲板上で作業中に爆発で跳ね飛ばされ海中に落ちた後にからくも救助された22名のみである。軽巡洋艦「那珂」に艦尾を切断された二等駆逐艦「葦」はもぎとられ艦尾にいた下士官兵27名が行方不明となった。  慰霊塔はこの両艦の殉職者119名を合祀している。
 
 慰霊塔建設および補修概況
建設
 この慰霊塔は美保関沖事件の殉職者の霊を弔うため、当時遭難者の捜索根拠地とした台場の丘の上に、在郷軍人会境町分会、境町青年団、西伯郡回海軍班の主唱により、建設期成会を組織し、県および境町の後援により高松宮、東伏見宮両殿下より御下賜金を賜るなど、全国各地の熱誠な協賛を得て建設された。碑は高さ415寸、建坪52合、近世ゴシック式耐火耐震、鉄筋コンクリート造りの建築で、碑の頂上に納骨室を設け、純銀製箱に殉職者の舎利を納めて安置し、納骨室の周囲は紅玉、水晶、真珠、瑪瑙などその他14種類の宝石と昭和年号入の諸貨幣および海軍の小銃弾を浄砂に混ぜて充填し、コンクリートで密閉したものである。塔身の正面には事件発生当時の連合艦隊司令長官加藤寛治海軍大将の書による「忠魂費」の青銅文字が浮き彫りされた。

設計者:岡田孝男工学士(島根県出身)、 施工者:鴻池組、 総工費:13.000
期日:起工、昭和3826日、 竣工:昭和31130

 昭和20年の敗戦と共に、「忠魂費」の青銅文字の浮彫りが除去され、荒廃するにまかされ、わずかに上道の海友会有志の清掃、そして殉難記念日には心ある人の参拝があるのみであった。

補修
 昭和32年の30周年に当たり、境港市で慰霊祭を計画、防衛庁統合幕僚会議議長林敬三氏(元鳥取県知事)の書による「慰霊塔」の青銅文字を浮彫して補修された。 設計者:境港市建設課、 施工者:境港土建株式会社、 補修費:115.000

参考
 
境港市報(16)昭和3285 「あし、わらび殉職者30周年慰霊祭」 824日 台場公園で,海上自衛隊はこの慰霊祭に参列のため艦艇を派遣入港させるので、艦艇の一般公開、音楽隊の市中行進、映画の夕べ、写真展示会、音楽隊の演奏会が行われる。

 境港市報(17)昭和3295 多数の参列者を迎えた「あし、わらび殉職者慰霊祭」 全国各地から遺族30名、鳥取県知事、米子市長、海上幕僚長、舞鶴地方総監等の来賓、多数の市民の参列者を迎え、海上自衛隊音楽隊の吹奏に始まり、式典が行われた。式後、警備艦「まつ」に乗艦して遭難現場で航空自衛隊美保派遣隊の飛行機とともに空と艦上から花束を捧げた。




美保関沖事件殉職者慰霊塔顕彰護持会
2010年、年末特別番組(12291900から約40)
 
「あなたは美保関沖事件を知っていますか」
 海軍10大事件の最大事故、「美保関沖事件の全貌」 山陰放送 BSS
2006年初放送、静岡放送、北陸放送、山陽放送、および南日本放送で同時放送、事後、数度にわたり再放送された。
今回、年末特別番組として放送。 1229「美保関沖事件を知っていますか」0900から1時間

     

松江市観光協会アドバイザ(元文芸春秋編集長) 高橋一清出演 絶版の「黒き日本海に消ゆ」復刻出版の
経緯
山陰放送報道製作局長 荒川和也出演 企画、製作および資料、記録等収集の足跡     
日本蝶類学会名誉会長、理学博士五十嵐邁(駆逐艦「蕨」艦長)の子息)出演「美保関のかなたへ」著者
海軍記念館準備室主管 松下薫協賛(63隻の連合艦隊の艦艇モデルの製作、展示、説明)
           
(誤記訂正:録画中の艦艇の名称で、空母「加賀」とあるのを空母「赤城」に訂正)

平 成22年度 美保関沖事件殉職者追悼・参拝式(通算82周忌)
 (824日午前11時から、境港市台場公園慰霊塔前にて、猛暑、炎天下で)

 ご参列の皆様、有難う御座いました。すこしづつでも輪が広がっていくのを嬉しく存じます。

                      美保関沖事件殉職者慰霊塔顕彰・護持会主宰
                      海軍クラブ美保「錨」」会協賛


              
https://archive.is/xutP0/2483e65a4058d49815df83600c17ea558fc04df1.jpg
   
              
https://archive.is/xutP0/534a4fb4c6ed928b8352687691cbb2d3e9de9236.jpg


      https://archive.is/xutP0/2539b643a8c47b302f366360ef7e1f9d090afa1f.jpg
                 写真家、住田恒夫氏 撮影編集

 https://archive.is/xutP0/24e696badca48a3f05efc36512079d2055b87025.jpg

 https://archive.is/xutP0/007552a2df9c7d547a08efaacf939a224b2d737c.jpg

 https://archive.is/xutP0/066c97bf4a424229a97ef94e7e0bd486dd5ed4af.jpg

 https://archive.is/xutP0/c30179f77c8f45a6acb849e9ef58ec1e778b955b.jpg

 https://archive.is/xutP0/d1bc16e88c3c5ee09a16e2a6058833d20e88c52c.jpg



                  完