鳥取県西部海友会の歴史
創立10周年記念 慰霊塔基部局舎内に焼香台 奉納
創立15周年記念 「衝突艦艇配置図(石板) 局舎正面壁面に取付 奉納
創立20周年記念
記念誌の発行 鳥取県西部海友会会報、「創立25周年記念号」
記念事業「海軍のすべて展」
海軍機等60機および艦艇70隻余のプラモデル大展示会
「海軍のすべて展」 |
石油、天然ゴム、錫および屑鉄などの国家戦略に不可欠な資源、材料の供給を絶たれた中で、代用資材を用い、あるいは松根油を混ぜたオクタン価の低い燃料を用いて高出力のエンジンを開発し、あるいは戦争末期の猛烈な空襲下で、疎開した農村の養蚕小屋の中でジェット戦闘機やロケット機の設計、製造を行い試験飛行まで実施するなど、設計者およびエンジニアの血の出る思いで努力した成果がわが国の輝かしい航空産業の基盤を確立したという事実、そしてまた造船技術の粋、集大成ともいえる船艦「大和」を完成させた誇るべきノウハウが戦後わが国を世界一の造船王国に導く基盤を造成したことなどを青少年に伝承すべくこの展示会を開催するものであります。また、わが国の性能第一主義の基本設計理念と欧米の人命防護を前提とした設計指針との相違、さらには陸・海軍がそれぞれ縦割り社会の中で、相互に協調することなく、予算、資材および技術者を取り合いながら別々に類似の機種を設計、製造し、国家総合戦力の発揮に失敗したという事実を改めて想起するためでもあります。 |
日時:11月20日(土)、21日(日) 10:00~17 |
鳥取県西部海友会創立 |
今日ここに大きな節目に当たる創立25周年を迎えるにあたり、歴代会長並びに会員の方々の言葉に尽くし難く、また、計り知れない御尽力、御奉仕による多大なご功績に対し、会員総員衷心より感謝するところであります。 |
1.1983年 初代会長 横原徳一 |
3.1987年 初代事務局長 松下薫 |
2.1985年 相談役 坂本定雄 |
4.1994年 第4代会長 足穂稔 |
「海軍のすべて展」 |
石油、天然ゴム、錫および屑鉄などの国家戦略に不可欠な資源、材料の供給を絶たれた中で、代用資材を用い、あるいは松根油を混ぜたオクタン価の低い燃料を用いて高出力のエンジンを開発し、あるいは戦争末期の猛烈な空襲下で、疎開した農村の養蚕小屋の中でジェット戦闘機やロケット機の設計、製造を行い試験飛行まで実施するなど、設計者およびエンジニアの血の出る思いで努力した成果がわが国の輝かしい航空産業の基盤を確立したという事実、そしてまた造船技術の粋、集大成ともいえる船艦「大和」を完成させた誇るべきノウハウが戦後わが国を世界一の造船王国に導く基盤を造成したことなどを青少年に伝承すべくこの展示会を開催するものであります。また、わが国の性能第一主義の基本設計理念と欧米の人命防護を前提とした設計指針との相違、さらには陸・海軍がそれぞれ縦割り社会の中で、相互に協調することなく、予算、資材および技術者を取り合いながら別々に類似の機種を設計、製造し、国家総合戦力の発揮に失敗したという事実を改めて想起するためでもあります。 |
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鳥取西部海友会入会の思い出 |
時は昭和60年9月11日、砕氷艦「しらせ」が境港に入港し外港1号岸壁に接岸係留していた。 |
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創立25周年の雑感 |
人にはいろいろな生き甲斐があり、さまざまな出会いがあります。60年前の終戦、外地からの後員、戦後の混沌とした時代を経て、就職、そして定年退職まで、いろいろな人との出会いがありました。その中で西部海友会に入会させて頂き、会員諸兄との出会いも何かの縁であり、一つの生き甲斐であると感謝しています。 |
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東郷大将を偲んで |
有史以来始めて有色人種が白人種に戦争で勝った日露戦争から百年を記念して、戦争終結を決定づけた日本海海戦時の日本艦隊の旗艦三笠を去る七月十五日見学することができた。 |
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青嵐-水上攻撃機について |
1)使用目的
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私の軍歴 |
昭15.1.10 佐世保海兵団 入団 |
海友会最年長会員 松本正光(96歳)の記録 |
創立25周年記念行事 |
15周年、20周年に続き今回もまた周年行事の実行委員長を拝命し、高齢化が進み、活動部員が激減する現状において、お金をかけずに有意義な「記念行事」をどのように企画するかが最も難題でありました。 鎮魂の鐘 これはピープル・ハッピネスおよびネーション・セーフティという極めて穏当な祈念文字であり、特に「国家安康」は国防の基盤となる国内そのものの安全と秩序の確立を意味するものであり、防衛協力団体である私ども海友会が等しく祈念するところでもあります。 |