世界の核兵器の現状、 その非核化の道筋

  

 また815日、大東亜戦争(太平洋戦争とも呼ばれる)の「交戦停止、武装解除、降伏」の敗戦記念日が訪れる。 それに先立ち、8月6日の広島、89日の長崎の原爆投下の犠牲者の追悼式が大々的に行われた。

 想えば、89日、私は防府海軍通信学校の6ケ月の普通科電信員課程を終え、右腕に桜のマークを付けた飛行兵長として大村海軍航空隊第203空の飛行隊に赴任し、訓練飛行の搭乗割当のない時、地下壕の中の通信所で沖縄特攻の突入電の傍受をしていた。

 ・・・  、自己符号、に続く長い━━、それが消えた時が突入なのだ。この━が短時間で消えるのはレーダ射撃管制の近接信管付の高射砲弾で破壊されたか、母艦の防空戦闘機の攻撃で撃墜されたかいずれかなのだ。 なかには自己符号などのプロトコル(通信規定)を無視した長い━━が続く発信がある。これは夜間、単機で発進した特攻機からのものが多く、奄美諸島の南方上空のピケットラインで待ち受けている12.7m機銃×4、 20m 機関砲×2の恐るべき重武装のP-61 ブラック・ウイドウ(黒衣の未亡人)のレーダ管制射撃で撃破された機からの発信なのだ。 操縦機能を失った機体をなんとか島影近くまで持っていこうとする操縦者の生きている証の最後のしるしの発信なのだ。 泣き入るような音調に聞こえる。 胸迫る状態だった。

 忘れもしない、89日午前11時4,5分頃か(寸前に時計が11時を指すのをちらりと見ていたのだった)、グワーと言う感じで異常な大震動で豪内の通信所が大揺れに襲われたのだった。地上で聞いたという腹に響くようなズズドーンと云う異様な爆発音は聞こえなかったが、異様な振動だった。

 「なんだー」と叫んだ掌通信長が数人の下士官と共に地上に向けて走っていった。基地から遠望できる約38キロの距離に位置する長崎市の上空500メートルで広島のウラニューム爆弾の1.5倍の威力を持つプルトニューム爆弾が炸裂したのだ。 配置を交代してもらって地上に出た。長崎市の上空の方向で赤黒い大きな唐笠状の爆炎が広がり、それがもくもくと拡大しながら上昇し、その中心に深紅の火柱が次第に伸びている異様な姿を目視した。
 新型爆弾だ、と皆が騒ぐ中で予備学生出の若い中尉が二人、「原子爆弾だな、アメリカのやつら遂に日本民族のホロコスト(殺戮)を始めたのか」と話していた。
 直ちに、基地からトラック5台に分乗した救援作業員が出発した。

 翌朝の点呼整列時に、分隊士から昨日派遣された救援隊からの報告の概要の説明があった。それは、「現場は手の付けられる状況ではなかった。幽鬼のような群れの中から、まだ足腰が達者の子供等と子持ちの婦人を優先して仮設救護所に運ぶほかなす術がなく、残余は見捨てるほかなかった。 運河や貯水池には水を求め、息絶えた被災者の群れ、河面は死者の脂で白濁化し、地獄のような惨状だった」と、一同息を飲む思いだった。
 広島にある原爆死没者慰霊碑の文字、「... 過ちは 繰り返しませぬから」とある。 原爆を落として民族の殺戮を図ったのはアメリカなのだ、「過ちは 繰り返させませんから」とすべきではないのか。
 その覚悟がなければ、本当に核兵器の廃絶などは出来ない。現今、ロシア4300、米国4700、英国225、フランス300、中国250(なお増産中)、パキスタン120、インド110、イスラエル80、北20発の核兵器を保有しているのだ。

 集会での誓いや祈り、街頭デモ行進などで核の廃絶なぞできない。ましてや核保有国不参加の国連の会議で核廃絶を決議しても実現する訳はない、70年の歴史がそれを実証している。 ではどうするか、それは唯一の被爆国をして、世界に先導して実行生ある計画、手段を策定するのが第一で、 さらに先進科学技術の共同開発により各国の保有する核兵器の機能を強制的に不能化する(例えば信管の機能破壊等)態勢を整えるしかない。

 自称平和主義者、似非学識経験者、知識人等のネオリベラリストのお歴々の方々に問う。
                 「祈りや誓いの言葉を繰り返すことだけで、本当に良いのか」と。

                              境港市馬場崎町 技術翻訳家 松下 薫(90)