航空機の発達史 


  展示のためのダイジェスト版


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   アンリ・ファルマン複葉機            東大航空研究所(航研)超長距離機
                  平成22年(2010) 航空100年記念

航研機A-261944年(昭和19年)72日、満州で周回記録飛行を行い新京-ハルピン-白城子の三角コースを57時間12分で16,435km飛行し、周回飛行の新記録を達成した。ただし、戦時下の事であったため、FA未公認の記録となった。

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展示用ポスター

    1903(明治36年)、ライト兄弟の人類初の動力飛行の成功から最先端の第五世代ジェット戦闘域まで



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                                                フライヤー号
                                                  
                                               揺籃期
        記念切手で辿る航空開発の物語           

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                  第一次世界大戦時の空中戦
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         間戦期

19181111日の独逸降伏から19399月の独逸ポーランド侵攻まで20年余の期間)

航空機の進歩および冒険飛行時代(各種の世界記録を樹立)
                  ↓


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                 第二次世界大戦時の日、独、米、英の軍用機
                       
                   ジェット機の時代                                                    ↓

            (第一世代から第五世代のジェット戦闘機)

 -22 ステルス戦闘機 「ラプター」 
 (猛禽)
第五世代の戦闘機


                      
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F-22はロッキード・マーティン社とボーイング社が共同開発した、レーダや赤外線探知装置等からの隠密性が極めて高いステルス戦闘機。愛称は猛禽類の意味のラプター(Raptor)。また、開発元のロッキード・マーティン社は制空戦闘機というキャッチフレーズを用いている。複数の用途での運用が可能なマルチロール機である。                       
                                     海軍記念館準備室主催 海軍クラブ7美保錨会後援



                                                                          

 第一部

 
「空への憧れ、
   人力飛行から動力飛行
      
           および急速な飛行技術の進展」

1.人力飛行への試み

 鳥のように羽ばたく翼を付けて高所から飛び降りる試みが各地で様々な方法で古代から行なわれてきた。
                   
                 
ギリシャ神話「イカロスの翼」
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 ダイダロスはミノス王から見放され、息子のイカロスと共にある塔内に閉じ込められた。 その塔を抜け出すため鳥の羽を集め、大きな羽は糸で止め、小さな羽を蝋で接着して大きな翼を造った。 イカロスは塔から飛び出す際に父の注意を守らずに高く飛翔し過ぎたため、蝋で貼り合せた羽が太陽熱で溶けて墜落してしまった。


レオナルド・ダビンチ
1452-1519年)は羽ばたく機械から「コウモリのように滑空する機械」に着目して「f70ra 飛行機械」を設計し、また「ヘリコプター」の模型を製作した(全日空社のシンボル・マーク)。
    

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    コウモリ形の翼の設計図  
                  ヘリコプターの模型


  
  

浮田幸吉  空を飛んだ鳥人、表具師
 幸吉は、鳩の体重と羽の大きさの関係を調べ、鳩の羽の形の翼を作り、天命5(1785)、備前(岡山)の京橋の上から旭川の河原に向かって飛行するのに成功したと言い伝えられている。
 昭和561213日、岡市山北区京橋のたもとに記念碑が建立された。 碑には「世界で始めて空を飛んだ」「青少年よ夢をもて」と、建立者(岡山旭ライオンズクラブ)の鼻息が感じられるような迫力があります。

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二宮忠八 日本航空の父

 1889年「カス型模型飛行機」を完成し、ゴム動力での飛行記録を作った。また二枚翼の「玉虫型飛行器」の完成を目指したが、あと一歩でライト兄弟の有人飛行の成功で先を越された(日本の航空の父と呼称される)。
 香川県仲南町「飛行神社」参照。(
1954年、英国王立航空協会は自国の展示場に二宮忠八の「玉虫型飛行器」の模型を展示し、「ライト兄弟よりも先に飛行機の原理を発見した人物」と紹介している。
  
     
カラス型飛行器   玉虫型飛行器
                      

 「カラス型飛行噐」考案発明からから2年後に、彼は 「玉虫型飛行噐」 という実用型機を設計し、型製作をしました。 これは人が乗れる複葉の羽根をもつ機種で、これぞ世界初の実用となるはずの機体構造でした (ライト兄弟成功の10年前でした)が、やはり廻りからの理解は得られず、資金もありませんでしたので、実機製作はできませんでした。 (この玉虫型飛行噐は、平成3年10月、忠八の設計図に基づいて製作され、故郷の八幡浜市で実際の飛行が確認されました。) 
 その後彼は勤めていた軍を退職し、この京都・八幡市に居を構え、なんとか自分の手で飛行噐の製作を続けるべく奔走しました。 しかし発明人のつらさ、孤軍奮闘するもむなしく、1903年、ライト兄弟の初飛行成功の報を知り、彼の開発は断念せざるを得なくなったのです。 その後ぷっつり飛行噐の開発を断念した彼は、この男山の麓に飛行神社を建て、空で遭難、殉職した人々の霊を慰め、また薬業の分野で新薬の開発などに生涯をささげました。
                             

    
   
飛行神社  大正4年創建(京都府八幡市八幡土井44)

オットー・リリエンタールの「人力飛行」

 コウモリ型の翼の「ハング・グライダー」を製作し、その機体にぶら下がって2000回以上の滑空飛行を行い、浮揚に最適な構造を追求した。浮揚中に強風にあふられ15mの高度から墜落し、背骨を折って命をおとした。

 墜落の原因は、機体にぶら下がって体重を前後に移動させ、左右に振ったりしてバランスをとるのを唯一の操縦法としたため、咄嗟の場合に間に合わなかったものと考えられる。


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アメリカの建築技術者、航空機のパイオニア、1894年、「飛行機械の進歩」を著作、発刊。 グライダーの父とも云われ、1896年から単葉、複葉、4枚翼のような多葉型のグライダーを作り、1000回以上の滑空実験を行い、複葉型が一番優れていることを実証した。 ライト兄弟とも親交があり、「可動な翼面による機体の制御」をライ兄弟に薦めたと云われている。

オクターヴ・シャヌート グライダーの開発

 アメリカの建築技術者、航空機のパイオニア、1894年、「飛行機械の進歩」を著作、発刊。 グライダーの父とも云われ、1896年から単葉、複葉、4枚翼のような多葉型のグライダーを造り、1000回以上の滑空実験を行い、複葉型が一番優れていることを実証した。 ライト兄弟とも親交があり、「可動な翼面による機体の制御」をライ兄弟に薦めたと云われている。
 

    

          


 

2.人類初の動力飛行に成功

ライト兄弟(ウイルバーとオービル)
    
 ライト兄弟は1902年、方向舵と昇降舵を付けた操縦可能なグライダー(キテイホーク)を完成させた。
このグライダーはライト兄弟の斬新な着想と研究に基づき、操縦性能を高めるため方向舵と共に操作する翼全体をゆがめるねじり翼を備え、後日これを翼の後辺の一部を蝶番で上下する補助翼に改め、小型、簡易構造で、大きな効果を得ることができた。また昇降舵を機体の前部につけることにより、墜落した場合に頭から落ちるのを防ぐことができ、実際、この設計により兄弟二人は試験飛行の際に何度も命を救われたと言われている。また、プロペラは回転する翼であることを発見し、木を張合せて立体的なプロペラを製作した。エンジンの設計は機体および搭載するエンジンの予想重量の合計重量を推進するため少なくとも8馬力の出力が必要なことを算出し、4サイクル12馬力、重量82㎏のエンジンを製作した。19031217日、弟のオービルの操縦で、地上に設けたレール上を滑走、浮上、37m12秒の動力飛行に成功、その日の4回目の飛行で約200m、59秒の非公式の飛行記録を樹立した。(場所はキテイホーク郊外)  

 
             
「フライヤー」号   エンジンと操縦席         

   


   
                 
                   
 第一回の飛行実験で失敗し、昇降舵を破損したウイルバー(1903年12月14日、キティホーク)

クレマン・アデル

 フランスの発明家。4気筒、20馬力の蒸気機関と4枚羽のプロペラを装備したコウモリ形のを飛行機「エオール」と「アヴィヨン」号を製作。 1890年10月9日、ライト兄弟よりも713年前に、エオールで飛行実験を行い、地上20センチの高さで約60メートルを飛行したと主張しているが、後援した軍は失敗と見て援助を打ち切った。フランス政府はライト兄弟の飛行成功後に、クレマン・アデルと「アヴィヨン」号の飛行を公示し、動力飛行の最初の記録として公認した。

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アルベルト・サントス・デュモン

 ヨーロッパの航空のパイオニア。主に飛行船の造船で有名。 1906年10月22日、ライト兄弟に遅れること3年で箱形のエンテ型の動力飛行機「14-bis」号の公開実験を行い、高さ3メートル、距離60メートルを飛行した。 飛行機の設計にういてはライト兄弟のように全て特許登録することなく、誰でも容易に理解できるように設計図を一般公開している。アルベルト・サントス・デュモンはまた、未完成に終わったが、ヘリコプターの開発も行っていた。  

3. 熱気球の発明および飛行船の誕  生

 熱気球は、フランスのモンゴルフィエ(Montgolfier)兄弟によって発明された、人類が初めて空中を飛行した乗り物である。
 フランスのモンゴルフィエ兄弟は、空を飛ぶ道具造りに情熱を注ぎ、もともと製紙業を営んでいたので、紙の袋に空気より軽い気体を閉じ込める研究に没頭していた。空に浮かぶ雲を閉じ込めるため水蒸気の研究も行ったが、うまく浮かせることができず、ある日、煙が上がる様子をみて、煙を紙袋に閉じ込めることを試み、暖炉の煙を入れた紙袋は見事に天井まで上昇していった。この煙の中にこそ「新ガス」成分が含まれていると考えられたのだった。
 その後、大きく丈夫な袋を作り、何度かの実験を重ね、178365日に公開実験を行い、湿った藁を燃やした煙を袋に吸い込ませ、見事浮揚に成功した(この日が熱気球の記念日になっている)。 さらに3ヶ月後、パリのベルサイユ宮殿前広場で、国王ルイ16世の見守る中、バスケットに羊、アヒル、雄鶏それぞれ1匹ずつ載せて、2.4kmの飛行にも成功したと云われている。
 そしてついに、17831121日、若者ロジェとダルランド侯爵の2人を乗せたモンゴルフィエ気球は、ブローニュの森から浮上した。人類が初めて空中を飛行した瞬間である。気球は90mの高度で25分間の飛行を記録した。

 少し遅れて、宮廷学者シャルルによる水素ガス気球も発明された。気球は輸送用に試みられ、戦争にも使用された。さらに気球を発展させた飛行船も開発された。しかし水素ガスは、爆発の危険があり、今はガス気球にはヘリウムが使われている。熱気球の発明から120年経って、ライト兄弟による飛行機が発明され、世界大戦を契機として大いに改良され、飛行機の時代に突入した。


            
        モンゴルフィエ兄弟による熱気球の浮揚実験

 
 

                     

 明治36(1903)年、ライト兄弟の製作した「フライヤー」号による人類初の動力飛行に続き、グレン・カーチスが「ジューン・バグ」号によるアメリカで二番目の動力飛行に成功した。カーチスはトマトスープの缶をキャブレターに流用した自作の単気筒エンジンを搭載したオートバイの製作・販売を開始した。1903年には64mph(103km/h)の当時のスピード世界記録を樹立し、1907年には自身の設計による40馬力の4000ccV8エンジンを搭載したオートバイでこれを136.36mph(219.45km/h)まで更新した。190874日にはカーチス製作による飛行機「ジューン・バグ」号が自らの生誕地であるハモンズポートで飛行に成功した。エンジンは出力90馬力、OXエンジンを搭載。

 ーチスは動力つき航空機で空を飛んだ2人目のアメリカ人となったのだ、当時ライト兄弟の初フライトや飛行テストは非公式扱いであったため、カーチスと「ジューン・バグ」号が公認されたアメリカ初飛行となった。
ライト兄弟とカーチスは各種の飛行大会への参加や、記録飛行への挑戦を行い、また軍への売込みとお互いに機体の優秀性を競っていたが、流はカーチスに傾いていった。

 ライト兄弟は明治41(1908)年のヨーロッパ「飛行器械」売込みツワーは、その翌年にフランス、ドイツ、イギリスなどとライセンス生産契約を結ぶことに成功し、ドイツではクルップ社などの資本参加を得て、ライト飛行機械会社を設立した。日野大尉が購入したライト機は同社の製品である。19113月、アメリカ海軍は航空部門の設立準備をはじめ、カーチス社に陸上機および水上機各1機を発注し、同時にライト社にも陸上機1機を発注した。

 
4.揺籃期(レシプロ、プロペラ機の進化)

アンリ・フォルマン複葉機
フランスの飛行機開発者アンリ・フォルマンと弟のモーリスが開発した複葉機で、明治41(1908)年、世界で初めて1㎞を越える飛行に成功した。この機種は当時のベストセラー機で、各地の飛行競技大会で活躍し、多くの世界記憶を樹立した。この機種の元祖はライト兄弟の飛行機械複葉機である。 明治43(1910)年、徳川好敏陸軍工兵大尉が代々木練兵場でアンリ・フォルマンⅢ型複葉機に搭乗して日本初の飛行に成功した。飛行時間:4分、最高高度:70m、飛行距離:3000m 
                            
 明治36(1903)年、ライト兄弟の製作した「フライヤー」号による人類初の動力飛行に続き、グレン・カーチスが「ジューン・バグ」号によるアメリカで二番目の動力飛行に成功した。カーチスはトマトスープの缶をキャブレターに流用した自作の単気筒エンジンを搭載したオートバイの製作・販売を開始した。1903年には64mph(103km/h)の当時のスピード世界記録を樹立し、1907年には自身の設計による40馬力の4000ccV8エンジンを搭載したオートバイでこれを136.36mph(219.45km/h)まで更新した。190874日にはカーチス製作による飛行機「ジューン・バグ」号が自らの生誕地であるハモンズポートで飛行に成功した。エンジンは出力90馬力、OXエンジンを搭載。

 ーチスは動力つき航空機で空を飛んだ2人目のアメリカ人となったのだ、当時ライト兄弟の初フライトや飛行テストは非公式扱いであったため、カーチスと「ジューン・バグ」号が公認されたアメリカ初飛行となった。
ライト兄弟とカーチスは各種の飛行大会への参加や、記録飛行への挑戦を行い、また軍への売込みとお互いに機体の優秀性を競っていたが、流はカーチスに傾いていった。

 ライト兄弟は明治
41(1908)年のヨーロッパ「飛行器械」売込みツワーは、その翌年にフランス、ドイツ、イギリスなどとライセンス生産契約を結ぶことに成功し、ドイツではクルップ社などの資本参加を得て、ライト飛行機械会社を設立した。日野大尉が購入したライト機は同社の製品である。19113月、アメリカ海軍は航空部門の設立準備をはじめ、カーチス社に陸上機および水上機各1機を発注し、同時にライト社にも陸上機1機を発注した。                            
   
                (写真画像展示)

グラーデ単葉機
              

ハンス・グラーデはドイツで最初の動力飛行に成功したパイロットで、19099月、自製の機で飛行に成功した。この機体の形状の“トンボ“の通称を冠して”GradeII Libeller“と呼ばれた。機体の大きさ、重量およびエンジン馬力は小さく、現代で言えばマイクロプレーンに近い印象である。着降装置は3点式車輪を採用。最大時速:58/h、航続時間:3時間、エンジン:空冷双頭型4気筒16.3馬力。 ドイツでは1909-1914年にかけて計80機が生産された。明治43(1910)1219日、日本初の公式飛行記録を作った徳川敏大のファルマン機と共に公式飛行記録を樹立した日野熊蔵大尉が使用しグーデ単葉機はドイツから購入したものである。  
               
 
    
           (写真画像展示)

グエン・カーチス1911モデルD「ジューン・バグ」号
 グレン・ハモンド・カーチス(18731930年)は、ライト兄弟の登録した特許侵害を避けるため、ライト兄弟の固執するチェイン駆動推進方式に対してエンジンとプロペラを直結する効率のよい方式、およびたわみ翼の特許に触れないエルロン方式を採用。ライト兄弟の実績を上回る実用機を作った。今日の航空機の基礎がここに完成されたと云へる。グレン・ハモンド・カーチスは米国航空のパイオニアと讃えられる。
   

グレン・L・マ-ティン
グレン・L・マーティンは自ら竹の枠に絹張りの翼を持つ推進型の複葉機を作り、資金集めのため新聞配送業を行い、1912年、グレン・L・マーティン航空機会社を設立した。現在のロッキード・マーティン航空機会社
                 
  
              翼の上に新聞の束が見える   

ブレリオ
X1単葉機

 ルイ・ブレリオは1909年、ブレリオXI単葉機で英仏海峡(30㎞あまりの距離)の横断飛行に成功した。この成功で100機以上の注文が殺到した。この機は航空揺籃期の名機である。1910年、世界で初の最高時速106.508/hを記録した。ブレリオXI単葉戦闘機はフランス、イタリア、イギリス、ベルギーなど各国の軍用機に採用され、第一次世界大戦の初期まで偵察機や観測機として使用された。エンジン:3気筒25馬力、最大時速:53/h 
                 

  
         (写真画像展示)
        

5.第一次世界大戦期(19141918)

1916年、プロペラの回転と同期して機銃を発射するプロペラ同期装置を開発。以後、機関銃を両翼のそれぞれ中ほどに付けた場合に比較して高い射撃効率を挙げることになった。(それまでは機銃から発射した弾丸がプロペラに当たる箇所に弾丸をそらせる金属性のディフレクター(偏向板)を付けていた。)

代表的な戦闘機

独逸:

フォッカーDr1三葉戦闘機 
、第一次世界大戦中の1917年に、 ドイツ帝国のフォッカー社が製作した三枚翼の戦闘機(三葉機)で、エンジンはドイツ機には見られない110馬力の軽い空冷式を採用した。またエンジンのコントロール(補助スロットル)から機銃の射撃(個別、両方の発射)、クーペボタンまでが操縦桿についているため右手で行なうことができた。武装はプロペラの回転と同調する7.92mmシュパンダウ機銃を機首に2丁装備した。 最高速度:185/h「、航続距離:200㎞。
      
                                   
 (写真画像展示)
                           
フォッカー・アインデッカーEI単葉戦闘機
1915年、フォッカー社製造の単葉単座戦闘機。世界で初めて機関銃のプロペラ同期装置を装備、高い攻撃効果を持ち、事実上初の戦闘機となった。 最大時速:141/h、航続距離:220㎞、最高高度:3660m、武装:7.92㎜機関銃1または2

  
                (写真画像展示)

フォッカーDVII複葉戦闘機 
エンジン:185馬力、最大時速:186km/h、飛行時間1.5時間、上昇限度:7000m、武装:7.92m機関銃2              

  
                (写真画像展示)      

アルバトロスDI複葉戦闘機
強固なモノコック機体構造を有し、前線に50機投入され、ドイツ空軍の質的勝利をもたらした。エンジン:165馬力、最大時速;175/h、航続時間:1.時間、上昇限度:3000m、武装:7.92m機関銃
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            (写真画像展示)

エトリッヒタウベ単葉戦闘機

第一次世界大戦が始まる頃の飛行機で、タウ「鳩」を意味する。はじめて戦争に登場した時は偵察機として活躍した。のちにドイツの飛行機会社『ルンプラ-社』が設計者であるオーストリア人のエトリッヒ氏に許可なくこの飛行機を『ルンプラ-タウベ』という名前で大量生産したので、たいへんおこったエトリッヒ氏は世界の飛行機会社に無料で生産許可を出したので 世界中でこの飛行機が作られた。

 時速:約100km/時、上昇限度:約3000メートル、  翼幅:14.ートル、 全長:約10メートル、 重量:乗員2名を含め約1トン、 武器:レンガ・石など投擲物やピストル、アルグス・メルセデスエンジン100馬力、  連続飛行時間:4時間   設計1911年ごろ、登場時期1913年。
                    
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(写真画像展示)

英国:

ソッピーズ・トリプレーン三葉戦闘
1916年に初飛行。 ソッピースライトプレーンを真似して三葉に したものです。 最高時速:185㎞、航続距離:513㎞、エンジン:130馬力、武装:7.7㎜機銃1.運動性と上昇力に優れ、格闘戦、迎撃戦にて真価を発揮した。

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 (写真画像展示)

複葉戦闘機ソッピーズバップの代替として1916にソッピース・アビエーションで開発され、開発初期には「ビッグ・パップ」とも呼ばれた。130馬力の9気筒ロータリエンジのクレルジェ 9B エンジンを装備して速度は時速185 kmに達した。プロペラ回転面を通して発射する同調機銃としてビッカーズ 7.7 mm 機関銃2挺を搭載した。機関銃の周りを覆うフェアリングがコブのようになっていたことから、キャメル(ラクダ)の名がついた。軍はこの呼び名を禁じたが、定着したため採用した。1917か年から運用が開始され、約5,49 9J150馬力のグノーム 9N、ベントレー BR1など、その他のロータリーエンジンを搭載したタイプも製造された。

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(写真画像展示)


SE5a
複葉戦闘機 Wolseley Vipe

 RAFRoyal Aircraft Factory)社が年開発した英国で最も成功した複葉戦闘機。19161122日初飛行、 800機生産 最大時速:203/h、上昇限度:3000m、エンジン:200馬力、武装:7.7㎜機関銃

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               (モデル機展示)
                                              

ブリストルF.2B複葉複座戦闘機 
 英国ブリストル飛行機会社製作の複葉複座戦闘機。191699日、初飛行。 フランク・バーンウェルの設計になり、複座の大柄な機体で一見爆撃機か偵察機といった風情がある。1次大戦でもっとも成功した戦闘機と云われる。1930.年代まで現役に留まった。5329機生産された。エンジン:ロールス・ロイス・ファルコン水冷190馬力、最高速度:198/h、装備:7.7㎜固定重、7.7㎜旋回銃1                        

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             (モデル機展示)


フランス:

ブレリオ・スパッドS510複葉戦闘機
SPAD
社が1930年に開発した複葉単座戦闘機 61機生産最高時速:372km/4000m 航続距離875㎞ 、エンジン 液冷V12気筒星型 690馬力 武装:7.5㎜機銃4 前方固定、翼下に搭載                                                            
     

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(写真画像展示)
                                                 

6. 第一次、第二次世界大戦間の間戦期19181111日のドイツ降伏から19399月のポーランド侵攻までの20年余の期間を云う)

 単葉機が中心となり、エンジン、機体構造が大きく進歩し、レシプロ戦闘機の形態が完成した。飛行速度は最大400/h程度にまでに達した。
日本ではこの間、各国から多種多様な機種を導入して性能比較調査を行い、採用分を制定化して日丸を付けた「青い目の軍用機」として使用し。同時に各種評価試験、分析検討により、制定機種の製造権を取得して国産化を図った。

代表的な戦闘機

米国-26 P-36                     

 ボーイング P-26Boeing P-26)はボーイング社が開発し、1930年代のアメリカ陸軍航空隊が運用した戦闘機。アメリカ陸軍の制式戦闘機としては初めての全金属製、単葉の機体であるとともに、最後の固定脚、開放式コクピット、張線式主翼の機体でもある。愛称は「ピーシューター(Peashooter)」。この愛称は豆鉄砲を意味し、パイロットたちによってつけられたものとされている。

 カーチス P-36 (Curtiss P-36) 1930年代にアメリカ合衆国のカーチス社で開発された戦闘機。アメリカ陸軍航空隊のほか、ヨーロッパをはじめ各国にも輸出された。愛称はホーク (Hawk)。アメリカ陸軍航空隊最初の近代的戦闘機(全金属製片持ち単葉の主翼、引き込み脚などの採用)の1つである。ビルマの日本陸軍機を相手に使用している。改良型のP-40は速度性能こそ向上したものの重量が大きくなって運動性が低下しており、日本軍にとってはむしろP-36のほうが手強い相手と認識されていたという。         

              -26 ()           -36 ()       

                           -26 ()                           -36 ()
   
         (モデル機展示)                                                                                  

英国

フェア
77リ・ソードフィッシュMK.I雷撃機 

英国航空機メーカー「フェアリー社」が開発した三座複葉雷撃機、1934417日に初飛行。1936年、空母「グローリアス」に搭載、1939年シンガポールに派遣。 第二次世界大戦までに700機近くが配備。総生産数:2396機                                             
            

                             (モデル機展示)

ソ連

ポリカルポフト I-153 I-16  

 ポリカルポフトI-1531938年に生産を始められ逐次配備され、1939年に起きたノモンハン事変では軽量で運動性の良い日本陸軍の95式戦や97式戦に劣勢を強いれられ複葉戦闘機の時代は終わった。視界を確保する為にガルウイングタイプの上翼を採用したのでチャイカ(カモメ)の愛称で親しまれた。 ポリカルポフトI-16はソビエトTsKB(中央設計局)の技術者ポリカルポフを中心としたチームが設計した単座単葉戦闘機原型TsKB-12が元となった機体。国産のM-22エンジンを搭載した原型機は海面高度での水平飛行時に360km/hという記録を示し、即、制式機として採用となった。制式機としては世界初の単葉引き込み脚装備機であった当機は、19355月1日のメーデーにモスクワ上空の空中分列式で一般公開され1939年に生産が終了するまで、エンジンや武装の改良を加えながら生産された。また第二次大戦が始まると驚くべき事にこの時代遅れとなった機体の生産が再開され、第二次大戦中頃まで対地攻撃や地上支援などの任務に投入されている。ノモンハンの対日本軍戦やフィンランド冬戦争、東部戦線における対ドイツ軍など幅広い戦場で活躍した。                              

       -153              I-16  

                                     (モ                                           (モデル機展示)

独逸

ハインケルHe51        

 新生ドイツ空軍の主力戦闘機(複葉単座機)19337月に完成。原型1号機は流線型の胴体に段違いの二枚の主翼を取付けた構造を持つ。最高時速:330/h、航続距離:570㎞、上昇限度:7700?、武装:7.92㎜機関銃2
                      

      
                     
モデル機展示)


日本

九〇式艦上戦闘機 九五式戦闘機 九六式艦上戦闘機 九七式戦闘機
 九〇式艦上戦闘機は19324(昭和7)年採用の日本初の純国産戦闘機。中島飛行機製造。100機生産。
  
                 
         
(モデル機展示)                                

九五式戦闘機 
 1934(昭和9)年、川崎飛行機はドイツ人技師設計の逆ガル翼単葉のキ-5を製作したが、安定性、運動性の面で不採用となり、陸軍は改めて川崎と中島飛行機に競争開発を命じ、1935年、中島飛行機の試作1号機キ-11を九五式戦闘機として制式採用した。生産機数は改良型を含め588機、支那事変の初期に使用された。

               
           (モデル機展示)

九六式艦上戦闘機
 日本海軍の最初の全金属単葉戦闘機。長年にわたる基礎研究調査に基づき欧米各国の模倣を脱して、日本独自の設計思想の下に制作された最初の機体。1935年に初飛行。三菱航空機で製造、生産数:1094機、後継機は零式艦上戦闘機。

               
         (モデル機展示)

九七式戦闘機
 日本陸軍の戦闘機。キ番号(試作名称)はキ27。略称・呼称は九七戦。開発は中島飛行機、製造は中島のほかに立川飛行機と満州飛行機でも行われた。初飛行は1936年、陸軍最初の低翼単葉戦闘機として、1940年(昭和15年)前後の主力戦闘機として活躍した。旋回能力に大変優れ、水平面での格闘戦では右に出る機体は無かったとされる。生産数:3386機。後継機は一式戦「隼」。           
       
   
    モデル機展示)

間戦期における各種世界記録の樹立

    

  


日本機の記録
三菱 雁型「神風」号 高速連絡機 (陸軍九七式司令部偵察機)

   

 「神風」号
は、それまでの訪欧州欧飛行とは異なり、機体の設計、製作、エンジを含む全てが国産の”純国産機”により、英国のジョージ6世の王位、即位を祝うための初の欧州訪問飛行であった。
 全幅:12.00m 、全長:8.60m 総重量:2,300kg 最大速度:480km/h 発動機:中島 空冷9気筒「寿」3型改 550馬力、乗員:2名初飛行:19365 後に陸軍に九七式指令部偵察機として制式採用されるキ-15の試作2号機を、朝日新聞社が譲り受けたのがこの神風号(J-BAAIである。

 193746日、立川飛行場を離陸し、イギリス国王エドワード6世の戴冠祝賀に向かう。15,357km94時間1756(実飛行時間51時間余)でロンドンのクロイドン飛行場に到着。外国の著名な飛行機が失敗した難コースに、日本人開発のエンジンを搭載した日本人設計の飛行機が、日本人パイロットの操縦で挑み、記録を作ったのだから日本中が大騒ぎだった。
 ベースとなったキ-15は、陸軍より視界と武装の要求を緩めて高速度機をとの指示に基づき、河野文彦技師を設計主務として取り組んだ。胴体は理想的な流線形化を図り、風防も段差のない横開きとしたが、主脚は故障を心配して大きなスパッツに覆われた固定式とした。

 1937年試作1号機が完成し、予期以上の成果であったが、やはり視界不良と、捻り下げが無いため大迎角時に失速しやすいと評価されたが目的遂行には我慢どころであった。制式採用後、性能向上のため発動機はハ-26(瑞星)に換装され、総数437機が生産された。
 ちなみに神風号の1937年は、東京-札幌の定期航空路か開設されたり、関東・東北地方で初の防空演習が行われた年でもある。

  

「ニッポン号」の世界一周飛行  (海軍九七式陸上攻撃機)

   
         
搭乗員の署名

朝日新聞社の神風号の成功に刺激されてか、毎日新聞社は1939年に世界一周飛行を企画した。機体は三菱製の双発輸送機で海軍の96式陸上攻撃機を改修したもので、この機体は本庄季郎技師を主任設計者として設計され、世界水準を抜く素晴らしい性能を持っていた。
 1939
年7月に勃発した支那事変において、九州の基地から出撃し支那大陸を攻撃し、世界初の渡洋爆撃として世界を驚かせた実績を持つ機体である。

 神風号は試作機の段階の機体だったが、「ニッポン」号は制式化され生産に入った機体で、また前者の単発2人乗りに対して後者は双発の6人も搭乗した。これは飛行距離が遥かに長大で、しかも太平洋・大西洋を越えるコースを飛ぶので、それに対応した機体を選んだものと思われる。

 ニッポン号は機長・中尾純利、操縦士・吉田重雄、機関士・下川一、技術士・佐伯弘、通信士・佐藤信貞、の5氏が操縦・運航に当たり、毎日新聞航空部長・大原武夫が同乗した。1939年8月25日に羽田を出発、アラスカ経由で北米に入り、ロスアンゼルスから米大陸を横断、ニューヨーク訪問、南下して中米・南米の各地を歴訪、ブエノスアイレスから南大西洋を横断してローマ着、それから南方コースを経て1020日に羽田に戻った。全行程52,860km, 飛行時間194時間、所要日数56日の記録的な飛行であった。 なお、始めの予定では、パリ・ロンドン・ベルリンも訪れる筈だったが第二次欧州大戦が勃発したので中止になってしまった。

 ニッポン号の飛行コースは、北太平洋・南大西洋の横断やアラスカ・アンデス越えなどの当時としては難コースを翔破し、卓越した操縦技倆と優れた機材を世界に知らしめた。ニッポン号は自動操縦装置・無線帰投装置などの最新の航法装置を備えて、可変ピッチプロペラ・引き込み脚の採用、沈頭鋲を用いた工作法などの革新技術が盛り込まれていた。 

 亜欧連絡飛行を成し遂げた神風号が航法に関しては名人芸に全面的に依存したに対して、ニッポン号は充実した航法装置を備えていた。これは前者が2人乗りの単発機であるのに、後者は多人数乗りの双発機という余裕に加えて、2年の差が技術進歩に大きく影響したからであろう。北米に入ってからの飛行は未知の空域であるにも関らず易々たるものであったと伝えられている。また、大洋横断の途中、酸素吸入装置の不調で全員が失神の危機に際した折に自動操縦により難を逃れたとも伝えられている。

 ニッポン号の原型である96式陸上攻撃機は、故山元五十六元帥の発案になる機種で陸上基地より発進し、敵艦隊を洋上で捕捉・攻撃する意図のもとに開発された。その性能は試作機・実用機・性能向上型などで相違があるが、最大速度は400キロに迫り、航続距離は5000キロに達した。特筆に価するのは航続距離で、同クラスの欧米機に比して2倍以上も有った。

 高性能の軍用機でありながらその形態は優美で英国の航空評論家は「双舵の美女」と評した。日本では「魚雷型」と称されたスリムな胴体に、直線テーパーの主翼、2枚の垂直尾翼がマッチして空力学の理想を実現したような機体だった。この96式陸上攻撃機は、大東亜戦争緒戦において、マレー沖で英戦艦「レパルス」と「プリンス・オブ・ウェールス」を撃沈する偉効を立て、強気の英宰相チャーチルニッポン号の快挙は、先の神風号と同様に全国民を熱狂させました。その一つの表れとして「世界一周大飛行の歌」がレコード化され、大ヒットした。これは毎日新聞社が読者を対象に公募した入選作で、著名作曲家が作曲し、人気歌手により歌われたものだった。

「航研機」A-26 長距離飛行世界記録機

 

 「航研」すなわち東京帝国大学航空研究所は大正7年(1918)に大学の付属研究所の一つとして設立された。設立当時は航空機の専門家は2~3人しかおらず、しかも大正12年の大震災で建物は崩壊し、その後、目黒区駒場に研究所の建物が再建されたものの、なかずとばずの活動でしかなかった。そして昭和を迎え、当時の所長、斯波忠三郎が航空研究所の基礎研究を世に知らしめ研究者たちに自信をもたせるために、世界記録を樹立できる飛行機の製作することを企画したのである。

 おりしも、そのころは世界で長距離飛行が盛んに試みられ、西風に乗って太平洋横断飛行に挑戦することが話題となっており、昭和6年(1934)ハーンドン、パングボーンの両名が乗ったベランカ単葉機(ミス・ビードル号:青森県三沢航空科学館に航研機とともにレプリカがあります)が青森県淋代から北米ウェナッチまでの初の横断飛行に成功している。

 昭和6年東京帝国大学航空研究所・斯波忠三郎から文部省に「長距離機設計制作の計画」が提出され、翌年に帝国議会で当時としては破格の高額な25万円の予算が承認され、同年夏から計画が実行に移された。 機体は岩本教授、発動機は栖原教授の担当で研究所総動員で進められた。航研内の各主務担当は、機体全般は小川太一郎、主翼燃料タンクは山本峰雄、胴体尾翼は木村秀政、空気力学は谷一郎、発動機は田中敬吉、脚冷却排気は富塚清、気化器は渡辺一郎、燃料は永井雄三郎、空力設計は深津了蔵、プロペラは河田三治、操縦装置は佐々木達治、塗料を厚木勝基らが担当したと記録にある。
 
 
この間、世界では次々と長距離世界記録が打ち立てられており、航空技術も急速な進展が見られた。機体設計は順調に進められたが、問題は機体や発動機を何処で作るかであった。当時のいくつかの飛行機製作会社は軍の需要を賄うのに必死であり対応が不可能であった。また費用的にも、試作前の研究開発費用を考えると、とても当初予算の25万円では不可能であり、民間よりその倍位の援助が必須となっていた。このように悩んでいたときに東京瓦斯電気工業の松方五郎が製作に名乗りを上げたのである。この会社は木製軽飛行機の製作経験しかない工員数25名程度で、他からみても無理としか思えなかったが、ここに豊かな経験と情熱を持った技術者・星子勇やフランスのドヴォアチン飛行機会社での経験を持つ工藤富治らがいた。
 記録を狙う流線型の機体構造のため、操縦席の視界は殆どゼロで、パイロットは必要な都度、天蓋を開けて顏を出して操縦した


7.第二次世界大戦期(19391945)

 エンジン出力が1000馬力から2000馬力に増大、さらに2500馬力にも達し、飛行時速も500K/hからレシプロエンジンの限界値、800 K/hを記録した。機体構造も空気力学的に洗練され、車輪は前車輪を含み、収納式。翼の形状は逆ガル型も含み、またエンジンを機体の後部に設けたエンテ型や双胴型機体構造も出現、さらにレーダーの実用化に伴い、夜間戦闘機が出現した。
日本では、皇紀2600(昭和15))年、自主開発により製造した世界に誇る名機「セロ戦」を採用、制式制定した。三菱重工業製造、初飛行は1993年、生産数:10430機。  


代表的な戦闘機

米国:F-4F,  F-4U, F-6F,  P-40, P-38,  P-47,  P-51,
英国:スーパーマリン・スピットファイヤー、ホーカハリケーンデハビラント・モスキート(全木製機)
ソ連Yak-9ヤコブレスYak-1, Yak-3
独逸:メッサ-シュミットBf-109、フォッケーウルフFw190Fw152
日本:ゼロ戦、紫電改、飛燕、疾風

 

米国

  


  

                  (全機のモデル機を展示) 

英国

   

  
    英国陸軍 デ.ハビラント・モスキート (木製多用途機))     (全機のモデル機を展示)
 
 
 独逸

  

 
               
                  (全機のモデル機を展示)


日本
 
 


                                 
日本海軍 「雷電」      (モデル機展示)                                   
                                   
 零式艦上戦闘機戦      緒戦から敗戦まで、改良に改良を重ねて使用し続け、最後は特別攻撃機に

  
  
   
                                 (21型、32型、52型のモデル機を展示)

  
  
    


 
 太平洋戦争後に多数の陸海軍機は米国に移送されてテストされ、戦後数年たってから公表された報告によると、高オクタン価の燃料と純度の高い潤滑油を使用しての飛行試験で、海軍の「雷電」二一型は時速671/高度5060m、陸軍の「飛燕」II型は時速685/高度8590m、「疾風」は時速689/高度6100mを記録し、上昇力その他の要素を含めいずれも設計計画値を超えた高い性能を提示している。



8
.ジェット機の歴史

第一世代のジェット戦闘機:
 1940年代に登場した初期の亜音速機から1950年代までの亜音速ジェット戦闘機がこれに分類される。

代表的な戦闘機

米国:F-80. F-86 (朝鮮戦争で出現)
ソ連:MIG-15   (朝鮮戦争で出現) 
独逸:Me262(第二次世界大戦末に出現)
日本:橘花(試作、験飛行のみ)(第二次世界大戦末期に独逸から技術導入)

独逸 Me262ジェット戦闘機

 第二次世界大戦末期のドイツ空軍の最終兵器として登場したイメージが強いが、ジェット戦闘機の開発自体は開戦前の1938年から始まっていた。ドイツでは翌1939年、ハインケル社がジェット機の初飛行に成功し、ターボジェットエンジンの製作がBMW社及びユンカース社で始まっていた。1941418日、試作1号機であるMe 262 V1の試験飛行が試みられた。当時BMW 003エンジンが実用レベルに達していなかったため、やむなくレシプロエンジンのユンカース社製Jumo 210Gを機首に装着して行われ、操縦性は極めて良好と判明。BMW003エンジンが搭載された後も、安全上の理由で機首Jumo 210Gエンジンはそのまま残したがこの措置は妥当だった。

 当時のプロペラ機と比べ、ジェット機ゆえに大量の燃料を消費した。わずか30分程度の作戦でも、機体のいたる所に作られた燃料タンクを満載にしなければならなかった。Me262は機体内前部と後部に主燃料タンク及び補助燃料タンクを持ち、燃料搭載容量は合計2,570リットルと比較的多く、さらに機体外前部のラックに300リットル増槽を2個搭載できたが、それでも燃料に余裕があるとはとてもいえない程に燃費が悪かった。航続距離は高度6,000m9,000mで飛行して約850km1,050km程度しかなかった。これらの制約により、会敵した時点で既に充分な速度に達していると言う理想状態を作り出す為に、様々な工夫を要求される事になった。

 単純に考えれば、速度を得る為には戦場からなるべく遠い場所から出発せねばならないのに航続可能距離が短く、おまけに補給を望むにも基地への着陸が困難な機体である等、基本的な部分から幾つもの矛盾に苛まれた。
 運用面ではコンクリート製の滑走路が絶対に必要だった。これは、ジェットエンジンは異物が混入すると即破損を招くという理由の他に、アスファルト舗装滑走路ではジェット噴流によって路面が傷つけられてしまう為であった。また、前輪式降着装置は強度不足のため折れ易く、不整地の野戦飛行場での運用などは論外であった。エンジンの寿命は最大でも70時間に過ぎず、実際の運用においては平均で2530時間程度だったといわれ、戦闘中に片方または両方のエンジンが故障して戦闘から離脱しなければならない事例が珍しくない程に繊細なエンジンであった。実際、戦闘で破壊されるより耐用時間を超えて壊れる機体の方が遥かに多く、戦争終盤には機体の少なさを補って余りある異常な攻撃力を得るに至ったMe262であるが、戦況に影響を与えるまでには活躍出来なかった事情は、むしろその点にあった。
 
 Me262
の資料と図面が、ロケット推進型Me163の資料と共に、日独間の連絡潜水艦派遣(遣独潜水艦作戦)で日本に送られ、Me262 資料を参考に中島飛行機が海軍向けに独自設計した特殊攻撃機「橘花」を製作、敗戦間近の194587日、初飛行に成功した。しかし2度目の飛行で離陸前にオーバーランして故障、修理中に敗戦となった。
  
 
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             「橘花」     (モデル機展示)       

航空自衛隊 T-33ジェット練習機 (原型はF-80)

 T-33は米初の実用ジェット戦闘域P-80から発展した、初の複座ジェット。練習機航空自衛隊では1954年(昭和29年)の創立当初からF-86Fと共にアメリカから68機の供与を受け、翌1955年(昭和30年)からは川崎航空機によって210機がライセンス生産され、計278機が本来目的の乗員育成のみならず、訓練支援、連絡業務、デスクワークパイロットの規定飛行時間維持の為の年次飛行などに広く用いられた。 

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      (モデル機展示)  

航空自衛隊 F-86F戦闘機

 多数機のF86F戦闘機がアメリカ空軍から供与されているのだがそれを操縦するパイロットの養成が追いつかず180機のうち45機を返還している。昭和51年(1956年)からは三菱重工でのライセンス生産が昭和30(1955年)121日、航空自衛隊浜松基地にF86F戦闘機7機が配備された。 この時、静岡県浜松基地から日の丸ジェット戦闘機の歴史が始まった。

 その後昭和32年までに180始まり、同年に4機が自衛隊へ 配備されたのを皮切りに3269機、3395機、3472機、3551機、369機と合計300機の三菱セイバーが生産され、米軍供与の135機(返還分45機を除いた機数)と合わせて435機が日の丸セイバーとして運用された。
 
   
(
       モデル機展示
) 

米空軍 F-86D全天候戦闘機

 航空自衛隊にも米国軍から80機供与され 1958年より4個飛行隊へ配備された。有力な全天候戦闘機として期待されていたが、 レーダー故障が多くて整備に手間がかかり その後、補修部品も枯渇してしまったため 短期間でその運用を終えている。                                         
 
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 (モデル機展示) 

第二世代のジェット戦闘機

 1950年代に登場した初期の超音速ジェット戦闘機を云う。米国のF-100ス-パーセイバーが史上初の実用超音速ジェット戦闘機である。1960年代から徐々に第三世代へと移行するが、その間の区別はやや曖昧である。日本の航空自衛隊では、超音速飛行が可能で、レーダーを搭載したものを第二世代としている。  

代表的な戦闘機

米国:F-100 F-101 F-102 F-104 F-106 F-11
ソ連:MIG-19  MIG-21F  Su-7  Su-9
日本:F-104J  F-1支援戦闘機
中国:J-7MIG-21

航空自衛隊 F-104J

 F-104Jスターファイターは、高々度から侵入してくる爆撃機を迎撃するためロッキード社が1950年代に開発した迎撃戦闘機で、「全身これぞ迎撃機」といった一極的な設計思想で、全力で高空へ翔けあがり レーダーで敵機を捕らえてミサイル射撃するという 唯一それ一点のみを追求し、登場時には世界最速を誇った、世界初マッハ2級の高速ジェット機で 当時[「最後の有人戦闘機」とも云われたが、それは「究極の有人戦闘機」の意味で、ロッキード社の技術の高さがうかがえる。
 高速飛行時に推力を増す、エンジン空気取り入れ口の形状は極秘とされていて 初公開時には、機密が漏れないようカバーがかけられていた。
 エンジン音は独特の金属的な、まるで金切り声を発した。
もともとアメリカ本土防空用の迎撃機として開発されたが、機体が少々小柄すぎて、米軍の要求する電子戦システムの搭載が出来ず主にNATOなど海外で使われ 日本では1962年から配備が始まった。

 機種選定ではF-5フリーダムファイター、F-100スーパーセイバー F-11Fタイガー、ミラージュⅢ等と競合し、一旦はF-11Fに決まりかけたものの、そのパワー不足が問題となり限定的ながら全天候運用能力がある上に ダッシュ力に優れるF-104に軍配があがった。また爆撃能力がほとんど無いF-104の方が近隣諸国への恐れにならないという 政治的な配慮も働いたものだと思われる。それまで航空自衛隊の主要基地の滑走路は2000m級だったが、このスターファイターは地上をダッシュして加速しないと飛びあがれないため 急きょ2700mへの延長工事が行われた。着陸進入速度も大変速く、時速360kmで降りてきて、接地の瞬間でも時速270kmほど出ており、低速飛行はもっぱら苦手で、離着陸時はBLC機構に頼りっぱなしになる。

注:BLC(吹き出しフラップ)とは、エンジンの噴流をフラップ上面に流し 気流の剥離を防いで揚力を増加させるもので、通常のフラップよりも確かに効果があるが機構が複雑になるなど、現在の戦闘機では主流ではない。 F-4ファントムにも搭載されているが、燃料タンクがある翼内を高温高圧のガスが吹き抜けるため戦闘中に被弾すると爆発などの危険が伴うので、アメリカの州空軍仕様のファントムでは、BLC機構を外して運用されている。
 生産状況は、最初に3機の完成機を輸入して国内で組立て、17機を三菱重工でノックダウン生産し、160機がライセンス生産された。複座の練習機F-104DJ20は全て完成機で輸入され、国内で組立てられた。
 F-104を導入した国は、日本のほか、ベルギー、カナダ、中華民国(台湾)、デンマーク、ドイツ、ギリシャ、イタリア、ヨルダン、オランダ、ノルエー、パキスタン、スペイン、トルコである。

 1980年代には自衛隊のF-104スターファイターと在日米軍のF-15イーグルが格闘戦訓練を行ったことがあったが、日本側は機体の性能差から明らかに劣勢でしたがそこを力量でカバーして勝利に持ちこんだ実例があった。戦法としては一撃離脱が基本で、レーダーに映りにくい小柄な機体を利して目標の死角をたどって高速で接近し、攻撃後は直ちに離脱する方法をとる。結局、このF-104での空中戦の戦技をモノにしたのは日本とドイツだけで、そんな無茶な運用法は、開発元であるロッキード社をも驚かせたと云われた。

レーダーなど電子装備の急激な発達から 小型レーダーしか持たないスターファイターも次第に役不足となり 1980年代初頭から後継のF-15イーグルに更新され1986年に、実働部隊での運用を終了した。日本での役目を終えた機の一部はアメリカ本国に返還され、そしてアメリカ経由で台湾に渡り、台湾空軍として第2の人生を送ったものもある。もともと単一用途に絞った設計であるため 耐用寿命がまだ残っていても、偵察機や練習機への転用は容易にきかず退役したうちの14機がミサイル開発の標的としてラジコン操縦のUF-104Jドローンに改修され、「最後の有人戦闘機」が皮肉にも「無人標的機」へと成り果て、1995年をもって日本での使命を全て終えた。                                                                 
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      (モデル機展示)

航空自衛隊 F-1支援戦闘機

 三菱F-1は、T-2超音速高等練習機の発展型として地上部隊の支援を行うことを目的に開発された国産ジェット戦闘機で、初号機の初飛行は1977年、部隊運用は1982年から始まり 3個飛行隊に配備されて本土防衛の任についた。 生産は77機で終了。
 自衛隊では「支援戦闘機」呼称されたがこれは世界的には「攻撃機」と同義の範疇で 主に目標の地上部隊の爆撃、撃破を任務とする飛行機のことを云う。
 ジェット練習機T-2からの改修点は ●後部座席を廃止 ●火気管制装置、レーダーなど電子装備を追加 ●固定武装バルカン砲の追加 ●主翼に武器搭載ステーションを追加 など最小限の変更にとどまり、機体の大幅な改装はなく、シルエットはT-2と変わりないが、主に低空飛行するという任務の特性から緑色の迷彩塗装が施されている。
 翼面荷重が高い機体なので低空高速飛行時の安定性に優れ 加えて国産の優秀な爆撃計算機により命中精度の高い爆撃が可能。練習機からの発展型であるということで操縦性はT-2譲りで素直であり またコクピット周りの設計も日本人の体格にマッチしている。
 反面、戦闘機としての加速力および上昇力は、 T-2よりも重量が増えた分、さらに劣っており 低速時の旋回性能も最新鋭機には全くおよばず、 また爆撃精度はともかくその搭載量が少ないこと、航続距離が短いことや レーダーの能力が少々半端でスパローなど中距離ミサイルの運用ができないため 事実上、空中戦の戦力として数えるのは厳しいことなど 欠点も少なくない。 ASM-1対艦ミサイルの搭載が可能で、これが事実上の虎の子であり F-1攻撃機が存在している最大の理由である。

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   (モデル機展示)


第三世代のジェット戦闘機

 1960年に登場した超音速ジェット戦闘機をさす。第二代ジェット戦闘機との区別は曖昧であるが、米国の場合、空軍のセンチュリーシリーズまでを第二世代とし、それ以降を第三世代としている。航空自衛隊では、第二世代ジェット戦闘機の能力に加えて、マルチロール、電波ホーミング・ミサイル搭載能力を有するものを第三世代としている。

中国:J-8 米国:F-111  F-4  F-5
ソ連:MIG-23  MIG-25  Su-15  Su-17 
日本:F-4J  

空自衛隊航 F-4

 F-4はマクドネル社が開発したアメリカ海軍向けの艦載戦闘攻撃機であったが空軍でもその優秀な性能が認められ多数が装備され, その他多くの西側親米国でも採用された20世紀後半を代表する傑作軍用機である。ところで航空自衛隊ではF-86F、次いでF-104Jと要撃能力の高い戦闘機の配備を進めてきたが1970年代以降の新しい脅威に対抗する為に第4次防衛力整備計画(昭和47年度から昭和51年度までの5ヶ年間)において次期戦闘機F-Xの導入が計画された。空自におけるF-X導入計画は昭和34年にF-104Jが選定されたものに次いで2回目であった(F-86Fはアメリカによる相互防衛援助計画MDAPによる供与でF-Xによる選定ではない)。
 この第2次F
-Xは4次防での整備であったがこれに間に合わせる為に3次防期間中の昭和44年度からの調達が必要であり43年度中の選定が迫られた。第1次選定で9機種が候補にあがったが昭和435月の第2次選定で以下の3機種に絞られた。

・マクドネル・ダグラスF-4E
・ロッキードCL-1010
・ダッソー・ミラージュF-1
同年11月に-XとしてF-4Eが正式に選定される。

 アメリカ海・空軍で使用されており卓越した能力を持つF-4に当初から事実上内定していたのは疑いの余地がない。空自F-4のベース機体であるF-4Eはアメリカ空軍仕様であり空戦性能は同時期の他の米空軍戦闘機を上回っていた。第2次F-XでF-4Eを選定した事は今日から見ても正し決断であったと評価すべきだ。日本独自の電子戦・通信関係の装置が搭載された。レーダ-警戒装置J/APR2
 BADGE
通信システムAN/ APR-670

 /APR2はアメリカ製レーダー警戒装置の入手が不可能な為に国産開発されたもの、AN/ APR-670は日本防空の要として導入されたBADGEシステム(昭和44326日から運用開始)と連結させるデータ・リンク装置である。前記した通り空自のF-4のベースになったのは米空軍型のF-4Eであったが空自F-4は上記の理由により制空任務に特化した機体になった。日本独自の改良を施した空自機はF-4EJと呼ばれる事になった。F-EJの当初導入計画は104機であったが沖縄配備用として24機、次期戦闘機導入の遅延を埋める為に12機が追加され最終導入数は140機となった。内訳は輸入2機、ノックダウン8機、三菱重工でのライセンス生産が130機であった。
 なお、F-4のライセンス生産は日本のみで行われた。マクドネル・ダグラス社で製作された1号機は昭和46114日に初飛行に成功、翌4781日には百里基地において臨時第301飛行隊が編成され日本のファントム時代が到来した。

 F-4EJはピーク時には6個飛行隊となり空自戦闘機隊の主力として活躍してきたがF-15の導入により数を減らしており現在は能力向上型であるF-4EJ改で編成された2個飛行隊が残るのみとなっている。  
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     (モデル機展示)

第四世代のジェット戦闘機

 1980年代から運用が始まり2013年の現在も運用されているジェット戦闘機の一群のことを云う。その中でも、搭載電子機器を中心に一歩進んだ技術を備え、次世代の第五世代の戦闘機の特長の幾つかを有するもが4.5世代と呼ばれることがある。

代表的な戦闘機

米国:F-14  F-15  F-16  F/A-18
ソ連:MIG-29  Su-27   Su-30
日本:F-15J
中国:J-10  J-11

米空軍 F-16C

 ジェネラル・ダイナミクス社が開発した軽量戦闘機。当初は昼間軽量戦闘機として開発されたが、後に全天候対空/対地攻撃能力を付与された。正式な初飛行は197422日。 胴体とLERX及び翼を一体で成形するブレンデドウイングボデイの採用、フライバイ・ワイヤーを搭載するなど、当時の革新的技術を取り入れている。その後も段階的な改良が続けられたことにより、登場から30年以上経った現在においても最新鋭戦闘機に遅れを取らない能力を維持し続けている。
 アメリカ空軍では高価なF-15と安価な本機での「ハイ・ロー・ミックス」運用が行われており、保有作戦機の過半数を占めている。4,500機以上製造され、世界20ヵ国以上が採用した実績からベストセラー戦闘機と評されており、アメリカ製のジェット戦闘機としては約9,000機の
F-86、約5,700機のP-80、約5,000機のF-4に次ぐ第4位の生産数を誇る。現在も採用する国が増え続けているため、輸出向けの生産は現在でも続いており、2012年43日にはモロッコ空軍向けのF-16C Block 52アドバンスドが4,500機目の納入機として完成した。

 また、本機をベースとした戦闘機や練習機が複数開発されている(後述)。後継機としてF-35を開発中で、アメリカ空軍では2020年代までの運用を予定している。2012年現在では、1,020機を保有している。

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     (モデル機展示)

航空自衛隊F-15DF

 三菱重工業が航空自衛隊向F-15C/DであるF-15J/DJのノックダウン生産、ライセンス生産を行った。日本仕様であるF-15J165機、DJ48機が製造され、航空自衛隊では現在201機を保有・運用している。一機当たりの調達価格は約120億円。
 F-15はアメリカ空軍などで運用されたF-4の後継として開発された、長射程空対空ミサイルの運用能力と高性能ドップラー・レーダーを持つ双発の大型制空戦闘機で第4世代ジェット戦闘機に分類される。後継機であるF-222005年に戦力化されるまでは「世界最強の戦闘機」としても名高い機体であり、現在も第一線で世界水準の性能を維持し続けている。F-15のパイロットは機体の愛称から「イーグルライダー」と呼ばれている。

日本のF-15Jには核融合炉激光の技術を応用した20mmビラルケマレーザ・マシンガンが装備されている。配備は200台と300台の飛行隊(千歳、百里、小松、築城、新田原、那覇基地)。 F-15を導入した国は日本のほか、イスラエル、サウジアラビアおよび韓国(E型)である。
 二枚の垂直尾翼を持つとはいえ、平凡な平面形の主翼に水平安定版を組み合わせた保守的な設計のまま、当時としては画期的な機動性を実現した機体である。採用国は2010年現在までに空戦における被撃墜記録は無いとしている。単座型と複座型の2種類があるが飛行性能・戦闘能力に大きな差はない。
 当時は、一機当りのコストが約
3,000万ドル(アメリカ空軍での単価)と高価な機体となったため、アメリカ空軍でもF-16との「Hi-Lo-Mix」運用を甘受することとなり、購入可能な国は経済力のある国に限られていた。それに加え輸出先も、その能力から政治的・軍事的に親密な国への売却に限られていた(F-22が開発され派生型F-15Eが輸出される頃には事情が変わる)。その結果、新造機からの運用はアメリカ空軍による877機の他イスラエル・日本・サウジアラビアの3ヵ国の合計356機(ライセンス生産を含む)総計1,233機で終った。

 
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     (モデル機展示) 

F-15DFの改良

 中期防衛力整備計画(平成1721年度)においては、当初は期間中に26機を量産改修する予定であった。ところが米国のF-22の輸出規制措置により、老朽化したF-4EJを代替する予定だった第4F-X機の選定を2008(平成20)年以降に先送りとしたため、F-15J近代化改修でF-4EJ減勢による防衛力低下を補う必要が生じた。このため2008(平成20)年度と2009(平成21)年度に、次期輸送機の計上を先送りすることで割り当てた予算で、当初予定されていた形態二型の統合電子戦システムの搭載を先送りしたうえで大量の機数分の近代化改修予算を計上した。これに合わせて2009(平成21)年度に中期防を改訂して改修機数を48機とした。2010年(平成22年)からは、先送りされた統合電子戦システムの搭載予算が「F-15の自己防御能力向上」名目で別途計上されている。
 航空雑誌等ではこれらの改修機のことを一くくりに
F-15J改と呼んでいる。 形態一型 F-15の近代化改修」名目で予算計上が進められた。 実施された改修内容 4.8.は以前から別途実施されてきた改修であり、本来「F-15の近代化改修」とは別であるが、改修予算計上段階で本計画に統合された。試改修初号機(12-8928)には4.8.は実施されなかった。
1.セントラルコンピューターの再換装
2.レーダーを従来のAPG-63から改良型機械式アンテナアレイのAPG-63(V)1へ換装、(v)3への再改修も容易である。
3.空調設備と発電装置の改良
4.AAM-4Bの運用能力獲得 
5.通信装置への電波妨害対処機能付加 
6.飛行記録装置の搭載
7.射出座席の改良
8.戦術データ交換システム端末の搭載に向けた空間と配線の確保

形態二型
形態二型への改修を受けたF-15J2008年)
近代化改修。
 大きく分けて、F-15J/DJJ-MSIP機(J899 - 965DJ063 - 098)を対象とした近代化改修計画と、Pre-MSIP機を対象にした近代化改修計画とに分けられる。

J-MSIP機の近代化改修
J-MSIP
機の近代化改修計画は4個飛行隊分の88機を対象に行われ[36]、改修の進捗状況によって形態一型と形態二型に分けられる。いずれも三菱重工業を主契約としている。)
 エアインテーク部分にアンテナフェアリングが備わる F-15の近代化改修」名目で予算計上が進められている。MSIP機を一気に形態二型機にまで改修する。 実施された改修内容 形態一型の改修要素に次の要素を追加したもの。当初計画とは相違があることに留意。

1.ヘルメット装着式表示装置(HMD)の搭載によるAAM-5の完全な運用能力獲得
2.戦術データ交換システム端末(FDL: MIDS-LVT(3))の搭載

 自己防御能力の向上 開発段階では「F-15の近代化改修」の形態二型の一要素であったが、調達予算計上段階からは「F-15の自己防御能力向上」名目で別途予算計上が進められている。形態二型機に対する上書き更新であると見られる。 実施された改修内容 1.統合電子戦システムの搭載(レーダー警戒・電波妨害・射出型妨害の3装置の能力向上)。射出型妨害装置(チャフ・フレアディスペンサ)はAN/ALE-45JからAN/ALE-47へ換装する。

Pre-MSIP機の近代化改修
 改修期間と費用が莫大となるためPre-MSIP機にはJ-MSIP機のような大幅な近代化改修を実施しない予定であるが、新開発の「自衛隊デジタル通信システム(JDCS(F))」を搭載してJ-MSIP機同様に戦闘機間や自動警戒管制システム(JADGE)とのデータリンクを実現する計画がある。 JDCS(F)は機体の残余容積やデータ処理能力の不足への対応なしに搭載することの困難なTADIL J端末の半分の経費で搭載可能であり、F-2にも搭載される予定である。2009年から2012年まで試作し2011年から2013年まで試験を実施する

性能
最大速度: M2.5
巡航速度: M0.9
フェリー飛行時航続距離: 3,450 km
航続距離: 4,630 km (増槽)以上
実用上昇限度: 19,000m
増槽装備時航続距離:4,630 km以上
戦闘行動半径:1,900km

武装
固定武装:JM61A1 20mmバルカン砲 ×1(装弾数:940発)
短距離赤外線誘導ミサイル AIM-9 サイドワインダー
90式空対空誘導弾(AAM-3
04式空対空誘導弾(AAM-5)(改修機対応)
中射程空対空ミサイル AIM-7 スパロー
99式空対空誘導弾(AAM-4[53] AIM-120 AMRAAM(試験運用にて使用実績あり)

中国 J-10(殲撃10/ラビ/イスラエル)

独自開発の停滞
 中国人民解放軍空軍では、長らく
MiG-21のライセンス生産用にソビエト連邦から譲られた見本用の部品と生産キットを元に製造されたJ-7を運用してきた。後継機の調達に当たり、中ソ対立により独自開発を余儀なくされたが、J-7を基にしたJ-8Iは登場時点から旧式となり、改良型のJ-8IIもアビオニクスの能力不足から他国の第4世代戦闘機と比べると劣っていた。より本格的な後継機としてJ-9J-10J-11J-12J-13といった一連の開発も行なわれていたが、新世代の戦闘機として実用化するにはフライ・バイ・ワイヤ操縦装置や運動性向上技術(CCV)といった最新の技術が不可欠であるため自国のみの技術力では実現不可能とされ、機体が試作されることはなかった。

海外技術の採用
 1980
年代に入ると、アメリカ合衆国は日本や大韓民国の基地にF-16の配備を進めるほか、周辺に展開する航空母艦にF-18の配備を進め、ソビエト連邦はSu-27MiG-29を実用化し、中華民国はF-CK-1の開発を進め、日本の航空自衛隊はF-15200機にまで増強を始めるなど、中華人民共和国周辺の仮想敵国では第4世代戦闘機の配備や戦力増強が進み、以前より質的劣勢を数で補っていた中華人民共和国の空軍戦力はより見劣りのするものとなっていった。

 中華人民共和国周辺の仮想敵国に配備される機体に対抗できる性能を持つ国産戦闘機を入手するため、1986年から改めてカナード付き無尾翼デルタを持ち、安定性を低下させて敏捷性を高めるという基本方針に基づいた国産戦闘機開発計画を開始したものの、新世代のアビオニクスや高性能エンジンの搭載が必須となり、海外技術の導入か国産技術の飛躍的発展を必要とすることになった。
 これに対して、本機のアビオニクス及びエンジンの搭載状況の推移通り、海外技術導入による実用化後に国産化率の向上を図ることとして、まずは西側からエンジンとアビオニクスを入手する見込みで計画を進めたと見られる。

ラビ戦闘機 (ラビとは若獅子を意味する)は、イスラエルの試作戦闘機・攻撃機、J-10はこのラビ戦闘機の技術を導入したと云われる。

 フライ・バイ・ワイヤ操縦装置や運動性向上研究(CCV)機といった新技術が、当時の中華人民共和国でどこまで研究されていたかは不明である。むしろ中華人民共和国の技術力が低いと認識されている分野であるだけに、海外からの協力を得たのではないかとの観測が出た。特に、量産に至らなかったラビを開発したイスラエルが技術を売ったとの見方が強い。
 しかしこれについて中華人民共和国は公式に否定している。ところが、西側からの技術導入を前提としていたため、1989年に起こった天安門事件を契機としたアメリカをはじめとする西側諸国の対中政策見直しによる武器輸出規制により計画は失敗の危機に瀕した。結局、ソビエト連邦崩壊後に関係を改善したロシアから入手したAL-31Fターボファン・エンジンやアビオニクスを搭載することで実現に至ったが、当初、旧ソ連の新鋭戦闘機にも対抗すべく計画が始まったJ-10にとっては何とも皮肉な経緯となった。
 初飛行 1998323日(公式記録)に原型1号機が初飛行した。このときにはロシアから供給されたサトゥールン科学製造合同のエンジンであるリューリカ=サトゥールン AL-31を搭載していた。2006年末に中国人民解放軍の機関紙「解放軍報」が写真を掲載していたが、200715日、中華人民共和国の航空機メーカーグループである中国航空工業第一集団として中華人民共和国内のメディア向けの記者会見で正式に「J-10の自主開発に成功した」と発表してJ-10の模型を公開した。合わせて新型空対空ミサイルや、リューリカ=サトゥールン AL-31のコピーである戦闘機用エンジン渦噴10A太行を「開発」したとも発表している。                                                    http://eletec.web.fc2.com/image386.jpg
     (写真画像展示)
                            
中国 J-11(殲撃11/Su-27SK/Su-27UBK

 旧ソ連・ロシアの大型制空戦闘機。当時開発が伝えられていたアメリカのF-14F-15F-16等の新型機に対抗するため、またトマホークなどの巡航ミサイルを迎撃するために開発された。開発計画は1969年から始まり、プレ生産型のT-10-7が初飛行したのは19813月。これを原型として1982年からコムソモリスク・ナ・アムーレ工場で量産が開始された。   Su-27はロシア空・海軍をはじめアンゴラ、エチオピアなど世界各国に輸出されており、いまなお世界各国に売り込みが図られている。スホーイSu-27の最初の量産型であるフランカーBは、機首にファザトロンN001 ZhukNATOコード”スロット・バック”)パルスドップラー・レーダーを装備しており、最大探知距離250km、目標の最大追跡距離154kmという能力を持つ。MiG-21クラスの小型目標でも前方からなら80kmで補足する事ができる。

 ルックダウン・シュートダウン能力もあり、輸出型のSu-27SKでは10目標の同時追跡、2目標の同時攻撃が可能になっている(TWSTrack While Scan)。このほかSu-27RLPK-27ヘルメット装着目標指示装置とOEPS-27 IRSTInfra-Red Search and Track:赤外線捜索追跡)機材及びNSTs-27レーザー測距装置と結ばれている。OEPS-27は操縦席正面に装備されている赤外線捜索システムで、戦闘機級の目標ならば約50km先のエンジン放熱を探知できる。OEPS-27は捜索・探知が出来るだけなので、目標を探知すると組み込まれている  
 
 
NSTs-27レーザー測距器(測距距離10km)で目標との距離を測り攻撃に必要な各種データを揃える。これらの装備によりSu-27は高電子戦下でもレーダー波を発せずに40kmで目標を捜索・追跡する事が可能で、ステルス機を探知するのにも威力を発揮するだろう。RLPK-27ヘルメット装着目標指示装置はR-73赤外線誘導ミサイルのシーカーと連動しており、機軸から60゜の角度までの範囲にいる目標をロック・アップする事ができる。Su-27Biryuzaと呼ばれるデータリンク・システムを搭載しており、AWACSAirborne Warning and Control System:早期警戒管制機)や地上の管制施設のみならず戦闘機間でもレーダーで探知した目標データを共有する事が可能になっている。Su-27は制空戦闘時、一般的に4発のR-73赤外線誘導ミサイルと6発のR-27中距離空対空ミサイルを搭載する。 

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     (写真画像展示
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中国 J-16/Su-30

 中国がJ-11Bの複座型であるJ-11BSをベースにロシアのSu-3.0mk2をコピイして開発した機体。空対艦ミサイルを運用可能。中国海軍で運用中。国産のWS-10A太行エンジンを搭載。カナード翼とTVCは非搭載。

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           (写真画像展示)

第四、五世代のジェット戦闘機

 
第四世代の性能に加えて、デジタル・フライバイ・ワイヤーとそれに伴うOCV設計、ストレーキ、カナードや推力可変ノズルの装備などにより、空戦時の機動性を向上させ、またステルス性の形状や素材を使うアビオニクス類の先進化を図った戦闘機を云う

注:フライ・バイ・ワイヤ(FBW)とは電線による飛行制御システムCCV( Control configured vehicle,)技術とは、制御本位航空機、または運動能力向上機の技術。

ストレーキとは一般にフインを指す
カナードとは先尾翼を云い、主な採用機種は、F-5 F/A-18 MIG-29 Su-27  ユーロー・ファイター

代表的な戦闘機

米国:F-15SE  F-16XL  F/A-18E/F
ロシア:Su-30系の改良型(Su-35
日本:F-2
欧州:ユーロー・ファイター


米海軍 F/A-18E/F
 本機は第4.5世代ジェット戦闘機に分類される、戦闘攻撃機(マルチロール機)である。A-12の開発中止を受けて、既存のF/A-18A型からD型)の基本設計から全面的に再設計することで開発された。航続距離や兵器搭載能力の向上を図り、機体の大型化やステルス性を考慮した設計変更が行われた。2001年にF/A18E/Fが初度作戦能力を獲得し、アメリカ海軍のF-14艦隊防空戦闘機(艦上戦闘機)を更新する形で配備が進められた。イラク戦争等の実戦に参加した。アメリカ海軍の他にオーストラリア空軍でも採用されている。             
       
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       (モデル機展示)

欧州 ユーロ」ファイター(タイフーン)

 タイフーンはNATO加盟国のうちイギリス、ドイツ(計画開始当時西ドイツ)、イタリア、スペイン、の4ヶ国が共同開発した戦闘機で、デルタ翼とコクピット前方にカナード(先尾翼)を備え、カナードデルタ (canard-delta)と呼ばれる形式の機体構成をもつマルチロール機。

 クロースカップルド・デルタ翼はデジタル・コンピュータに常時制御されていて、操縦者の命令に従い安全な飛行姿勢が維持できる範囲内で最適化され、超音速飛行時だけでなく低速時でも安定性が確保される。
 操縦者は耐Gスーツと加圧呼吸装置で長時間9Gに耐えられる。これにより急激な速度変化や旋回が可能となった。人体と機体が耐えられる限界は9Gである。なお、従来機ではこの荷重に数秒しか耐えられない。F-22同様、アフターバーナーを使用しなくても超音速飛行が可能なスーパークルーズ性能を備える。空虚重量でマッハ1.5、全備重量でマッハ1.3を発揮できる。

 ステルス性能 については、前方からのRCS低減のみに配慮されたと言われる機体は、電波吸収材の多用により、トーネードに比べレーダー反射断面積(RCS)が4分の1以下に減少した。BAESの評価では正面からのRCSの値は最新型F/A-18E/Fやラファールよりも小さく、ステルス機に次ぐという評価もある。最近の報道では機体のRCSは一般的な中小型戦闘機の20%、もしくはそれを下回る数値である1m2以下だと推定されている。また2010年時点の情報によれば、0.050.1m2とも言われている。

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     (モデル機展示)

航空自衛隊 F-2

 4.5世代ジェット戦闘機に分類される航空自衛隊の戦闘機である。F-16を大型化した機体に空対艦ミサイルを最大4発搭載可能で、戦闘機としては世界最高レベルの対艦攻撃能力と対空戦能力を兼備する。当初はF-1と同じく支援戦闘機に分類されていたが、後に「要撃」「支援」の区分が廃止されたため、F-2戦闘機と表記される。その性能や用途から、戦闘爆撃(攻撃)機やマルチロール機に分類される場合もある。非公式の愛称は「バイパーゼロ」。

 本機の本開発が始まる以前の「FS-X(次期支援戦闘機)」の段階では国産機開発として計画されていたが、技術的・政治的問題によりアメリカとの共同開発となった。これによりロッキード・マーチン社のF-16多用途戦闘機をベースとし、三菱重工業を主契約企業、ロッキード・マーチンなどを協力企業として開発されることになった。

 本機は大型化に伴う重量増軽減の為に、炭素繊維強化複合材による一体構造の主翼を世界で初めて採用している。また、量産戦闘本機は大型化に伴う重量増軽減の為に、炭素繊維強化複合材による一体構造の主翼を世界で初めて採用している。また、量産戦闘機として世界初となるアクティブフェーズドアレイレーダーを搭載し、CCV研究機T-2CCVにより蓄積された国産技術によるデジタル式フライ・バイ・ワイヤ(FBW)を飛行制御に用いている。

 生産機数は94機調達し、一機当たりの調達価格は約119億円と言われている。支援戦闘飛行隊の存在する三沢基地の第3航空団や築城基地の第8航空団を主に、また航空教育集団に属する松島基地の第4航空団など教育関係の部隊へも配備され、支援戦闘任務だけでなく要撃任務およびパイロットの操縦教育にも従事している。

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     (モデル機展示)

F-2の能力向上改修

背景:
当初より「対艦」「対空」「対地」の複数任務をこなす多目的戦闘機として開発された本機であったが、中国・ロシアをはじめとする周辺諸国の新型軍用機の配備進行、巡航ミサイルなどの新たな脅威、離島防衛の重要性の増大などにより、さらに能力を向上させる必要性が出てきた。
 
こうした状況を受け、平成17年に改定された防衛大綱からは要撃機と支援戦闘機の区分が廃止され、よりマルチロール・ファイター(多用途戦闘攻撃機)としての能力向上を目指して防衛相技術研究本部で対地攻撃や対空戦闘能力の向上を図るための様々な研究開発と改修が進められた。

能力向上改修
 2004
年(平成16年)度以降発注の23にはJDAMGPS誘導爆弾)搭載能力が、そのうち2005年(平成17年)度以降発注の18には、外装型赤外線前方監視装置J/AAQ-2の搭載能力も合わせて調達段階から付与されている。
 また2009年(平成21年)度と2010年(平成22年)度予算で「F-2へのJDAM機能の付加」名目で、2003年(平成15年)度以前に調達された本機にJDAM搭載能力を付与させるために47機分の部品購入予算が先行的に計上され、2011年(平成23年)度から2013年(平成25年)度予算までに合計43の機体改修予算が計上された。 2012年(平成24年)度から2018年(平成30)年度までF-2支援戦闘能力の向上のための開発を行い、コックピットにレーザーJDAM投下時の地上の味方誘導要員のセーフティーゾーンの表示ができるようにシステムを開発をする。

 また、本機の配備開始時点で既に米国やロシアはAM-120R-77などのアクティブレーダ誘導方式の中射程空対空誘導弾を開発・戦力化しており、本機に、より優れた射程距離、追尾・撃破性能、ECM性能、巡航ミサイル対処能力を持つ99式対空誘導弾(AAM-4)の運用能力を付与することで、他国の第4.5世代戦闘機に対抗し得る対空攻撃能力を付与し、航空自衛隊の空対空戦闘能力の陳腐化を防止する必要があった。

 そのために、2003年(平成15年)度から2009年(平成21年)度まで技術研究本部技術開発官(航空機担当)第4開発室の下で「アクティブ・電波・ホーミング・ミサイル搭載に関する研究」の名目で、AAM-4搭載能力と、AAM-4の性能を十分に活かすためのJ/APG-1レーダーの探知距離の大幅な延伸と同時目標対処能力の向上の研究が進められた。そして2010年(平成22年)度と2011年(平成23年)度予算で「F-2空対空戦闘能力の向上」名目で40機分のレーダー改修予算と部品購入予算が先行的に計上され、2010年(平成22年)度から2013年(平成25年)度予算までに同名目で合計28の機体改修予算が計上された。改修作業はIRAN(定期点検修理)時に実施され、専用の指令送信装置(J/ARG-1)などの必用コンポーネンツが追加される。改修されたレーダーはJ/APG-2と型番が改められる。

 さらなる本機の能力向上のための研究開発も進行中であり、AAM-5搭載用ランチャーの開発、新空対艦誘導弾(XASM-3)の開発、 自衛隊デジタル通信システム(JDCS(F))の開発 、3次元高精度方探システムの研究、等が進められている。XASM-3はパッシブfレーダ・ホーミングにより対Kレーダミサイルとしての運用できる可能性も指摘されている。

改修の進捗状況

戦闘機(F-2)へのJDAMGPS誘導爆弾)機能の付加 2009(平成21)年:部品調達12

2010(平成22)年:部品調達35

2011(平成23)年:改修12

2012(平成24)年:改修20

2013(平成25)年:改修11

戦闘機(F-2)空対空戦闘能力の向上 2010(平成22)年:改修1機、部品調達4

2011(平成23)年:改修3機、部品調達36

2012(平成24)年:改修12

2013(平成25)年:改修12

米空軍 F-15SE4.5世代改修のサイレント・イーグル)

 F-15SE1996年にボーイング社に合併される前のマクドネル・ダグラス社が開発したF-15Eをベースとして、ウエポンベイ化したコンフォーマル・フューエル・タンク[1]、レーダー波吸収材、F/A-18E/Fのような外側に10°傾斜させた垂直尾翼やエンジン吸気口にレーダーブロッカーを装備してステルス性の付与を図った輸出市場向け改修型である。尚、レーダーブロッカーについてはオプションで標準装備ではないとされている。これらの改修により、機体前面のステルス性は、F-22F-35などの第5世代ジェット戦闘機に匹敵する程度にまで向上させることが可能であるとしている。

 またアビオニクスも、レーダーはAESAレーダーに、電子戦機器はBAEシステムズ社製のデジタル式電子戦システム(DEWS)に、コックピットはF-35と同様のタッチパネル式大型液晶ディスプレイを取り入れた新型コックピットシステムに換装されることが発表されている。  機体に関しては、元となるF-15Eよりさらに軽量に設計されており、さらなる低燃費化が図られている。コントロールシステムには最新のデジタル・フライ・バイ・ワイヤが装備される。

 このSE型は2009317日にシアトルのボーイング社で発表され、201078日にセントルイス空港において、F-15SEのデモ機であるF-15E1の初飛行が、80分間にわたって秘密裏に行われた。 また、飛行中に左側のコンフォーマル・ウェポンベイの開閉を行い、そこにはAIM-120のテスト用ミサイルが装着されたが、発射は行わなかった。AIM-120の発射試験は同年714日に実施され、成功している。

 現在、F-15ファミリーを採用しているアメリカ空軍以外の5カ国(イスラエル・サウジアラビア・日本・韓国・シンガポール)に提案しており、今後、提携企業(日本で言う総合商社)を通じて販売を行っていくとしている。1機あたり1USドル(約100億円)で販売する予定だが、20121月現在採用した国はない。

 アメリカ外交筋からの話ではイスラエルのベンヤミン・ネタニヤフ首相が201076日に行われたオバマ大統領との直接会談の際にF-15SEの輸出を促進してほしい旨を要請したが、オバマ大統領はこの要請に対しての返答はしなかった。その後イスラエルはF-35を採用している。

 韓国ではボーイング社と2009年よりF-15SEに関する暫定的な協議を重ねてきているが、合衆国政府からの輸出ライセンスを取得するまで海外の顧客に販売することができないでいる。この件に関して2010年の頭にボーイング社は政府に対して輸出ライセンス取得の申請をおこなっている。その後、ボーイング社は20107月に輸出ライセンスを取得。同年11月には、韓国航空宇宙産業(KAI)と共同でF-15SEにおけるコンフォーマル・ウェポンベイの設計と製造を行っていく契約を締結した

 KAI自体はF-15に関与することはこれが初めてではなく、以前にF-15K及びF-15SGの翼と前部胴体を製造している。日本がF-35Aを採用したことで韓国も日本の選択を真似ると見られており、販売の可能性は消えつつあるといった見解もあったが、韓国空軍のF-4E後継機たる第3FX60機において、F-15SERFPに応じている。現在も開発は続けられており、フライ・バイ・ワイヤ操縦システムやDEWS2012年中に量産型が完成し、新型コックピットシステムの量産移行と、コンフォーマル・ウェポンベイや垂直尾翼の最終形態風洞試験は2015年から始まる予定。また、F-15SE用に開発された技術は米空軍のF-15Eやその輸出型にも順次適用されていく見込みで
ある。


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(写真画像展示)

韓国空軍 F-15

韓国空軍はF-4/Eの後継F-Xとしてダッソー社製ラファール戦闘機を退け、ボーイング社製戦闘攻撃機F-15Eの韓国型であるF-15Kを選定した。F-15K2008年までに40機が導入された。愛称は「Slam Eagle(スラムイーグル)                                         http://eletec.web.fc2.com/image414.jpg
        
(写真画像展示)


ロシア空軍 スホイ Su-35

 Su-35(スホーイ35、スホイ35;ロシア語:Су-35スー・トリーッツァチ・ピャーチ)は、ロシアのスホーイの製造する多用途戦闘機。第4.5世代ジェット戦闘機に分類される。生産は、スホーイ傘下のKNAAPOが担当する。

Su-27M(Су-27М)とも呼ばれ、NATOコードネームはフランカーE1 (Flanker-E1)。 Su-35は多目的で機動性が高く、全天候戦闘機の輸出型、作戦半径が広く、スホーイ設計局のシモノフ氏が開発を手がけた。初飛行は19886月。その後、生産プロジェクトは一度中断したものの、2005年に再開、まったく新しいSU35Sが完成した。

ロシア空軍はSu-352012年から実戦配備する予定で、量産型のSu-35S2015年までに48機導入契約をスホーイと結んでいる。また、それ以上の機数を2020年までに揃えるとしており、最終的には150から200機の配備を望んでいる。2013年春、中国の習主席とプーチン大統領との首脳会談で中国はSu-3530機導入することを決定した。

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      (写真画像展示)

第五世代のジェット

「第五世代の戦闘機」の用語は、ロッキード・マーチン社が新戦闘機を他機種と区別するため作り出したもので次のように定義される。第四世代の戦闘機が「空中戦でエネルギー管理戦を行へるようにし、また各種の兵器を運用できる新しいセンサーを搭載するようになったのに加え、「超低視性、ステルス性、より優れた機動性、センサー融合による高い状況認識力の提供、優れた維持、管理性、高い展開能力、ネットワークを活用しての作戦能力のような新たな要素を一つのパッケージにまとめたもの」としている。

その具備する問題点は、 

機体制御の不安定性:
レーダー波の反射を低減するため、RCS(レーダ断面積)を極小化し、レーダー波の反射を低減するため主翼と水平尾翼の前縁と後縁を平行にし、および角度を付けた二枚翼の垂直尾翼にするような機体構造を得るため、空気力学的洗練度の劣る造形とならざるを得ないので機体制御が困難になる。これを解決するには、高性能な機体制御系統やフライ・バイ・ワイヤーなどが必要となる。

搭載量:爆弾やミサイルなどを機外に装着すると、RCSが増大するのでステルス性が失われる。このため、ステルス機は基本的に搭載兵器は全て爆弾倉(ウエポン・ベイ)内部に搭載する必要があり、兵装搭載量が少なくなりがちである

維持費:ステルス性を維持するためには、常に機体表面の研磨や電波吸収性塗料による塗装が必要であり、維持費・整備費が高価になる。

 そして今、わが国が置かれた状況は:
 現用の戦闘機は第4世代(F-2F-15Jなど)と呼ばれ、最新のF-22Aステルス戦闘機(ラプター) および現在開発中のステルス戦闘機F-35(ライトニングII)は第5世代と呼ばれている。航空自衛隊の時期戦闘機の候補に上がったユーロ・ファイター(タイフーン)や米海軍の艦載機F-18EF4.5世代に位置する。94機のF-2戦闘機最終号機は昨年9月に納入され生産が終了しました。その時点で戦後半世紀続いた日本の戦闘機生産は中断された。

 F-22導入により戦闘機生産を維持し、戦闘機の生産基盤の継続を望む防衛省に対して米国はそれを拒否した。また米国から提案された4.5世代に位置する改良型F-15SE(サイレント・イーグル)(韓国が導入)を受諾せず、F-35が選定されたが価格、納期および国内生産の範囲枠(国内航空産業の基盤の維持に寄与可能な分)が不明で混迷を続けている。

さらに40年近く酷使し、老朽化したF-4EJ(ファントム)60機の更新も緊要な問題である。また東日本大災害で水没した18機のF-2支援戦闘機(複座型) の補充もパイロットの養成訓練のため不可欠な問題である。これらの問題解決のため、高価なF-35の購入は調査、実験に数機に止め、実績がありそして安定で、国内製造枠の範囲が多い4.5世代に位置するF-18 EF、またはライセンス生産を認めるユーロファイター(タイフンンー)にすべきだったとする意見もあり、また現在進行中の「先進技実証機ATD-X(神心) の平成27年予定の試験飛行を促進すると共に、「国産の第六世代の戦闘機」(平成の烈風)の完成に努力と経費を集中すべきとの論もある。それまでの間、戦闘機生産基盤を継続維持することが絶対不可欠である。  

 先端技術を満載した斬新な第五世代のジェト戦闘機で、2012年現在で実用化されているのは米国のF-22F-35のみである。

「敵よりも先に発見し、先に(複数の敵)を撃墜する」条件を満たすように設定された音速巡航性能も前提要件であるが第4.5世代戦闘機もこの能力を持つものが」あるので、むしろステルス性に重点が置かれる。

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     米空軍
 F-22(ラプター)猛禽
         
(モデル機展示)


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  米空軍 F-35 JSF (統合打撃戦闘機)

        
(モデル機展示)

 日本はF-35の導入を決定した。平成24年度予算で完成機4機を、25年度予算で2機を調達する。最終的に60機の製造(ノックダウン生産)を計画している。これにより、2010年秋にF-2戦闘機の最終納入機を最後に中断している機体の組立を含む最小限の航空機製造ラインを確保することが可能となった。さらに、条件付ながら一部の部品に製造が許容される。

F-35の様態

レーザー砲の発射実験

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ロシアのステルス戦闘機T-50

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  内容は、ロシア空軍で旧式化しつつあるMig-29Su-27の代替となる戦闘機を開発するものである。以前の計画にはI-90計画が存在したが、本計画はこれに替わって開発・製造を行う。

ステルス機能
 ロシア側の情報によれば、PAK FA計画の機体にはF-22のような超低観測性(VLO)ステルス能力の欠如が示されている。その替わりレーダー、光学、赤外線に対する低観測性を得るため、複合材料や空力学的形状、エンジンから発生する探知源の減少処理によって観測性を低減している。軍事アナリストであるカーロ・コップは、ひとたびPAK FAの完全なステルス化開発が行われたとき、この機体は低観測性を持つF-35戦闘機と大まかに匹敵するが、空気力学的に上回っていなければならないと述べている。

搭載兵装
 PAK FA7,500kgの最大兵装搭載重量を持つと報告される。この機体は明らかに航空機関砲の搭載を準備しており、これはGS-301が最有力で、またおそらく2挺の30mm航空機関砲が装備可能である。資料により、PAK FAに設けられた2箇所の兵装庫は、長さ4.6mから4.7m、幅1mから1.1mとも推定される。予期される初期装備には、Kh-35UENATOコードではAS-20「カヤック」)、Kh-38MEKh-58UShKEAS-11「キルター」)とRVV-MDAA-11「アーチャー」)ミサイルが含まれる。

 兵装庫ごとにIzdeliy視程外射程ミサイル2発が装備される。また複数のIzdeliye180/K77M視程外射程ミサイルが装備される。視程内射程ミサイルであるK74K30の携行も可能である。各兵装庫に2発のKH38MまたはKH58 USHK空対地ミサイルが装備される。複数の250kgから500kg精密誘導弾が各兵装庫に装備され、最高10発の爆弾が兵装庫内に収容される。他に搭載される可能性がある装備には、各兵装庫に1,500kg爆弾、または400km以上の射程を持つ対AWACS兵装が2発、例としてはRVV-DVのようなものが外部ハードポイントに装備される。
 PAK FA
の設計主務を務めるアレキサンダー・ダヴィデンコの言及では、ブラモス超音速ミサイルをPAK FAおよび派生型のFGFAに積む可能性があるとしているものの、どのようにしてこうしたミサイルを積載するのかは不明である。これはブラモスが大重量であり、1発か2発のみ搭載が可能なことによる。



9.
将来の国産戦闘機構想(第六世代に相当) (防衛技術協会ゼミナー資料)

米国航空宇宙週間雑誌Aviation Week & Space Technology/Sep.にも掲載された)

ンター・ステルス能力の高い有人戦闘機を視野に入れた将来国産戦闘機構想を22825日に発表した。この構想は将来の戦闘機、第6世代の戦闘機についてである。


構想の主体は
i3戦闘機i3、即ち3つのiは高度情報化(Informed)、知能化(Intelligent)されて、瞬時に(Instantanuous)敵を攻撃すると言う意味である。開発の行程はまだ確定されてないが、平成33年度頃から本格開発となり、経費は機体の大きさにもよりますが、50008000億円規模と見積られている。機体システム構想には、次の7つの重要先端技術の適用が含まれている

      誰かが撃てる、撃てば当たるクラウド・シューティング(統合火器管制技術、先進コックピット)

② 数的劣勢を補う将来アセットとのクラウド(例えば、無人機、衛星等)

③ 撃てば即当たるライト・スピード・ウェポン(指向性エネルギー兵器技術)

④ 電子戦に強いフライ・バイ・ライト

⑤ 敵を凌駕するステルス(機体の造形素材、被覆塗料、武器内装化、またRCS(レーダ断面積)の大きいインテーク(空気取入れ口)内の構造を特別仕様にすると共に、にレーダー波遮断器を設  ける)

⑥ 次世代ハイパワー・レーダー

⑦ 次世代ハイパワー・スリム・エンジン

これらの内、①⑤⑥⑦は20年後に実現させ,②③は3040年後に実現をめざし、④は現在でも実用可能なレベルになっている。 ②は有人戦闘機の前方を飛行するセンサーとなる無人機と組になり、無人機は有人戦闘機が探知されぬよう支援しつつステルス目標を探知する技術、③はレーザーと高エネルギーマイクロ波に焦点を置くことになっている。

 防衛省は、国内における戦闘機の生産技術基盤の維持・育成は極めて重要。そして将来、国産戦闘機の開発を選択肢として考慮することができるよう調達・研究開発を進めていくことが必要,という基本的考え方のもとに、この構想をまとめている。

防衛省は、ロシア、中国、インドが新戦闘機を開発中で、これらに対し日本は数的に劣勢でも質的な優位を確保するよう活動しなければならないことを強調している。また、開発の意義として、自動車産業と比べた波及効果が極めて広範にわたることを述べている。航空機産業関係者にとり、本構想は航空機産業の中長期的事業計画の指針となるものと言えよう。さらに航空機産業ばかりでなく、世界一流の日本の情報、電子、材料技術産業の航空機産業参画へのきっかけとなり、国内産業の活性化に寄与することが望まれる。


現在進行中の「先進技術実証機
ATD-X(神心)、世界の注目を浴びる

 平成21年度から実機の開発が始まった。すでに実物大の模型機のレーダー断面積(RCS)試験をフランスのレーダー波測定空洞で行い、さらに1/5縮尺無人モデルの飛行試験を成功裏に完了している。 平成26年に、三菱重工内で初飛行、27年、技術研究本部と航空自衛隊で試験飛行、28年、開発完了の予定。 実験航空隊による各種の飛行試験、および分析データに基づき、将来戦闘機の実機の開発に移行する。その形態および寸法は大きく変わることになろう。

 平成21年度から実機の開発が始まった。すでに実物大の模型機のレーダー断面積(RCS)試験をフランスのレーダー波測定空洞で行い、さらに1/5縮尺無人モデルの飛行試験を成功裏に完了している。 平成26年に、三菱重工内で初飛行、27年、技術研究本部と航空自衛隊で試験飛行、28年、開発完了の予定。実験航空隊による各種の飛行試験、およびデータに基づき将来戦闘機の実機の開発に移行する。形態および寸法は大きく変わることになろう。

ATD-X 「神心」
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                     第二部

世界の航空の流れと日本の航空の状況