松下薫のホームページ (クリック)


 技術翻訳「エレテック」

 コンピュータ初期設定、調整、操作,ホームページ作成、エレクトロニクス分野に関する欧米特許文献、学術論文等の技術翻訳

     
迅速、正確、廉価

自己紹介

 技術翻訳「エレテック」代表取締役 松下 薫は、帝国海軍、警察予備隊、保安隊、陸上自衛隊、航空自衛隊の陸海空の三軍の勤務歴を通じ、一貫して通信・電子分野を専攻してまいりました。
 
 その間、米国陸軍将校訓練所(江田島)、米極東空軍総合技術学校(米空軍ジョンソン基地)、米空軍通信学校(イリノイ州スコット空軍基地)およびヒューズ航空機会社電子工場(ロスアンジェルス市郊外)留学により電子工学、特にデジタル技術を習得し、欧米特許文献を主とし、エレクトロニクス分野の技術文献の翻訳に従事して参りました。

 境港ライオンズクラブ会長、336B地区ゾーン・チェアマンを経て、現在ライオンズクラブ國際協会終身会員およびメルビンジョーンズ・フェローとして社会奉仕に参加しております。

 その他、防衛技術協会を始め、各種の技術翻訳団体等に参画、また地域では帝国海軍軍人の団体「鳥取県西部海友会」の創立会員としてネービー精神の普及、伝承に努め、自衛隊鳥取地方連絡部長、海上自衛隊舞鶴地方総監および海上幕僚長から個人感謝状を贈呈されています。

 昭和4年、東京府世田谷区太子堂生まれ、3歳から15歳まで中国(上海、天津、青島、海州、上海等)に過ごし、上海中学から海軍甲種飛行予科練習生に志願、防府通信学校を卒業後、機上電信員として大村海軍航空隊に赴任、交戦停止、武装解除の屈辱の敗戦を迎える。 上海中学、東京外語で中国語、英語を学ぶ。

 
支那大陸に14年居住し、中国人と交流を通じた体験、見分を基に、日支相関の近現代史の流れ、および日支青少年の純愛の軌跡を論述したノンフイクション長編歴史小説 「戦時下の上海ラプソディー」 を校了、出版調整中。


               
                愛車「ビートルズ」で寛ぐ
  


外国雑誌の紹介

      

 
 

  

  

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軍事資料  

大東亜戦争敗戦直前、海軍美保航空基地に対する攻撃(クリック)

 

This is war

       これが戦争だ(クリック)

(元カナダ総領事館首席商務官 梅谷陽治提供資料

一般論説

繰り返してはならない大日本帝国海軍の失敗

 クラウゼヴィッツや孫子をはじめとする戦略思想家たちによってしばしば指摘されるのが、「戦争(War)に勝つこと」と「戦い(Battle)に勝つこと」は全くの別物であるという戦争の原則である。これはベトナム戦争やイラク戦争を見ても明らかだ。

 この点に関して、米海軍協会の機関紙「プロシーディングス」は、旧大日本帝国海軍の失敗を例に出して「『戦い』に勝つことへの執着が敗北を招きかねない」と警鐘を鳴らす論文を掲載した。 この内容は、現在の我が国が陥りかねない点を示唆していると言える。今回はその内容を紹介しつつ、我が国にとっての意義と教訓を論じてみたい。


「戦争」に勝つための準備をしなかった帝国海軍

 この「戦いのための準備は戦争のためではない」と題する論文を書いたのは、元米海軍大佐のリントン・ウェルズ2世である。
 ウェルズ氏は、ブッシュ政権時代に国防総省の最高情報責任者や国防次官補代理を務めた。1980年代には日本の防衛庁防衛研究所に派遣されたことがあり、日本とも縁の深い人物である。この11月にもサイバーセキュリティの専門家として訪日し、講演している。

 彼の論文の概要は以下のとおりである。

 真珠湾攻撃を果たした機動部隊は、当時世界で唯一無二の存在であり、当時の日本の艦隊全体が洗練された作戦概念・戦術・技術開発・装備調達・現実的で厳しい訓練といったもろもろの長期的かつ体系的な統合の成果であった。

 旧大日本帝国海軍のこうした優秀な戦力は、日清戦争の教訓をもとに、1902年に策定され、日露戦争後に対米戦を見据えて数回改訂されてきた「漸減邀撃(ぜんげんようげき)」ドクトリンにあった。帝国海軍は、このドクトリンに基づき、長距離攻撃能力(夜間航空魚雷攻撃技術の完成、重巡洋艦の量産、高速戦艦による夜戦、海軍航空隊の育成、最終段階で迎撃する強力な戦艦の建造)の育成に力を入れ、彼らの戦術と編成と訓練はこれに沿ったものであった。

 太平洋戦争の開戦から2年間、帝国海軍と連合国海軍は21回の矛を交えたが、日本は1074引き分けであった。その結果はそれまでのアプローチの正しさを証明するかのように見えた。 しかし、2年も経たないうちに、帝国海軍は効果的な戦闘力を発揮できない存在になってしまった。それには、戦術的な原因と戦略的な原因がある。

戦術的には以下の原因が挙げられる。
1)日本の産業基盤は総動員体制が未熟であった。
2)帝国海軍は、兵站・情報・対潜作戦などの分野を軽視していた。
3)補充要員の訓練計画が不十分だった。
4)艦隊決戦重視の思考に拘泥していたため、漸減邀撃の艦隊決戦が実現しなかったとき代替案に移れなかった。

 戦略的な原因としては、日本政府および帝国海軍が、広範な地域における全面戦争ではなく、一部の地域における限定戦争を計画していたからである。誤った戦術は回復することが可能だが、誤った戦略は挽回することができないことの典型例といえよう。


 
要するに、1941年の帝国海軍は、予想される「戦い」に勝利するために準備されていたが、「戦争」に勝つために準備されたものではなかったのだ。

                             


知能(
AI)の現状と展望
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歴史が未来を導く

 歴史を考える上で、無意識のうちの「未来としての過去」が出てきます。言い変えれば「過去による拘束性」です。更に付け加えると、過去の分析が未来を拓くと言う意味です。

 これを現在の重要案件である北朝鮮問題に当てはめてみれば、それはかっての朝鮮戦争であり、キューバ危機や、さらにさかのぼればローザンス会議やミユンヘン会議に繋がっているのです。 #注

 そのような過去、その歴史をいかに読み解き、分析、評価するか、つまり、現在の危機を乗り越えるのに必要なのは、「物語を構成する能力」なのです。

 「インテリジェンス」とは、ラテン語の語源を辿れば「物語を語り聞かせる」と言うことで、すまり現状分析は物語になってなければならないのです。即ち。インテリジェンスは小説に類似しているのです。そのため個々の人々の長い人生経験を取り込めない人工知能(AI)では朝鮮半島の情勢を予測することは出来ません。

 一般に、最新の情報分析は、エリント(elint)、即ち、レーダー情報と、コミント(comint),通信解析を含むシギント(sigint),信号インテリジェンスや、アシント(acint)(水中音響分析)に加えて、現在の我が国で最も劣っているヒューミント(humint)、即ち、人間による情報を総合した分析により行われます。

 現在進行中の北朝鮮問題は我が国にとって重大な危機なのです。歴史には必然性などはありません。この危機、リスクはまた苦境を脱する蘇生の可能性を内蔵しています。
 北朝鮮問題には、我が国の持続的な安康に繋がるよう、国家を挙げて対処しなければならないのです。政局の具にするよな低次元の問題ではありません。

注:

(1)1932年にローザンヌで開かれたドイツ賠償問題・戦債問題に関する国際会議。 
 大恐慌で危機を迎えたドイツ経済救済のため大幅な賠償金の削減,旧連合国の対米戦債解消を決定し,この問題に実質的な終止符を打った。

(2)ミュンヘン会議とは、1968年929日、チェコスロバキアのズデーデン地方の帰属問題解決の会議において、英国とフランス政府はヒットラーがそれ以上の領土要求を行わないとの約束のもと、ヒットラーの要求を全面的に認めることとした。 それが第二次世界大戦勃発の原因となった。「有和政策」の典型とされる。

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米国防軍の将校、士官養成の多様性
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 伯耆富士「大山」

             
       
              秋の賛歌
                                                

       
                頂冠雲

      
                
            
      
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     大山 赤松の池(クロス・カントリー)




       

 「大山頂冠」植田正治 撮影、未公開 
 (昭和52年秋、原画フイルムを頂く)



アーカイブ記録

護衛艦境港入港歓迎レセプション米子国際ホテルにて
      

米子商工会議所坂口会頭、鳥取県西部海友会松下会長、海上自衛隊舞鶴地方総監(海将)

 


平成12年度、自衛隊記念日に海上幕僚長から感謝状を贈呈される(防衛功労)

          
(防衛庁市谷会館にて。 介添え人として長女、幸子を帯同)

       
 


       



                    
            

 
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海上自衛隊創立50周年記念式典および祝賀会
                       
平成14年4月26日、場所、横須賀市内、海自第二術科学校にて

(旧海軍水雷学校跡、昭和28年、海上警備隊発祥の地)

          

在日米海軍司令官 ロバート・C・チャプリン海軍少将と懇談する筆者

        

      イラン在日大使館駐在武官と語る
          (話相手を求めていたので)


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2002年(平成14年) 国際観艦式 参加

 

       

       

       


       

 先導艦「むらさめ」に乗艦。チリ海軍練習帆船イメラルダの指導教官が筆者の胸のライオンズクラブのバッジを見て話しかけ、「自分の父親もライオンズのメンバーだ」と言って親しく懇談した。 同国の海軍の概要を知ることが出来た

                 
       
   ロシアの巨大な潜水艦を目前で視認する事ができた

       
       満艦電飾 (晴見埠頭)


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「桜を観る会」新宿御苑

 
平成15年 「桜を見る会」新宿御苑にて、 国務大臣 相澤英之先生のお手配で内閣府の招待を受ける(次女泰子を同伴)
 

     
              
   

           

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鳥取県西部海友会創立30周年記念  

 
会員の高齢化により解散。伝統行事を継承するため、「美保関沖事件慰霊塔顕彰護持会」を立上げ、初代会長に川端広海氏を選出、軍艦旗(連合艦隊司令長官 喬橋三吉海軍大将の署名入り) を継承。



   
   
   
   

   

  

  

  

  


  

           

   

   


 

      


                 完